これが江戸時代の防災?その実態に迫る!

突然ですがクイズです。下の地図記号は何を表しているでしょうか。

国土地理院公式HP/スクリーンショットで撮影

正解は「自然災害伝承碑」です。昔から自然災害の多い日本。先人は被害を受けるたびに、その時の様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、メッセージを遺してくれました。国土地理院はこの石碑に注目し、2019年3月には地図記号を制定。全国に数千基あるなか593基登録されました(20年9月1日現在)。

<実際に行ってみた>

大阪市浪速区幸町に「大地震両川口津浪記」が建っています。周りには京セラドームがあり、車通りが多い道路に面しています。私の身長(180cm)よりも高く、裏側には1854年の大地震による大津波の様子、教訓が書かれています。

大阪市浪速区幸町「大地震両川口津浪記」/9月1日/筆者撮影

「1854年、大きな地震が発生した。大阪の人は空き地の小屋に避難したり、水の上なら安心だと思い小舟に乗ったりしていた。しかし、再び地震が起こり、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。1707年の大地震の時も小舟に乗って避難したため、水死が多かったと聞いている。これを伝える人がほとんどいなかったため、同じ過ちをしてしまった。今後、地震が発生したら津波が起こることを心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。同じ過ちを繰り返さぬよう、ここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい」という内容(要約)です。

近くの掲示板には昔の新聞記事、数人で石碑を洗う姿を映した写真、現代語に訳した案内板などが。花立てに生けてあるお花がとても綺麗だったので、とても大切に管理されている印象を受けました。記念碑保存運営委員会が毎年地蔵盆にあわせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れているそうです。

インターネットもない時代。この石碑には当時の人にとって、貴重な情報源だったのかもしれません。

<問題点>

この石碑に関していくつか問題が。1つ目は「認知度の低さ」。2018年の西日本豪雨災害で多くの犠牲者を出した地区では、100年以上前に起きた水害を伝える石碑がありました。しかし、地元の人は「存在は知っていたが、関心を持って碑文を読んでいなかった」とコメントしています。これでは十分に活かされているとは言えません。

2つ目は「いい加減な管理」。大阪市文化財保護課によると、市では伝承碑への申請を担当する部署が決まっていません。十分な調査ができておらず、所在や碑文の内容を把握していない石碑も多いそうです。また、新道の建設や時間の経過で、崩壊してしまったものもあるとか。貴重な情報が書かれているので、とても残念です。

<個人的見解>

一番の問題は自治体の取り組みだと思います。申請部署のあいまいさ、いい加減な管理、地元住民への宣伝不足・・・課題は山積みです。碑文を解読できる専門家、研究者を招いて調査することはできないのでしょうか。また、地理院地図などに掲載するまでの手続きも複雑です。もし新たな石碑を発見したとしても、面倒な手続きを理由に遠慮してしまうのではないかと危惧しています。

防災の日が制定されてから、ちょうど60年が経ちました。毎年のように起きる自然災害。メディアが伝えるのは「未来」や「直近」の出来事ばかり。しかし、自然災害伝承碑には「過去」が書かれています。国土地理院の公式HPでは石碑の検索ができるので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

参考記事:

1日付 日本経済新聞朝刊(大阪13版)41面「災害碑 進まぬ地図掲載」

参考資料:

国土交通省国土地理院公式HP(https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html