「どうせ死刑だから」
京都アニメーション放火殺人事件では、36人もの方が亡くなりました。これは、殺人などの疑いで27日に逮捕された青葉真司容疑者が、リハビリ中に投げやりな態度で漏らした言葉です。治療にあたっていた医師は、「私たちは懸命に治療した。君も罪に向き合いなさい」と繰り返し諭しました。
全身やけどで「死亡率95%超」の状態から高度な治療により救命された男の逮捕が、死刑制度についての論議を呼んでいます。
死刑をめぐっては、長い間、意見が交わされてきました。学校などの討論やディベートでも、頻繁に題材になります。様々な領域の学者が取り上げ、また、最高裁でも判例がでています。
昭和23年の最高裁の判例では「一人の生命は、全地球よりも重い」と尊厳な人間の生命について述べつつも、死刑は憲法第36条が禁ずる残虐な刑にはあたらない、と合憲性を認めています。しかし裁判官4人の補充意見では、「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題」であり、「国民感情は時代とともに変遷することを免れないのである」としています。憲法が死刑を永久に是認しているわけではない、との解釈です。
国民感情によって基準が変わりうる死刑制度の合憲性。その存置論を後押ししているものの一つに、政府が実施してきた世論調査の結果があります。2020年の調査では「死刑は廃止すべきである」と答えた人の割合は9.7%、「死刑もやむを得ない」は80.3%でした。ただ、この調査において、「死刑賛成派」が8割を占めているわけではないことに注意が必要です。「終身刑がない日本では致し方ない」「将来的には廃止すべき」とする人も含まれているからです。
こうした調査結果はありますが、市民一人ひとりの弱者に対する当事者意識は十分でないように思えます。反対意見についての情報がわずかななかで、犯罪者への応報感情から「賛成だ」と言っている人が多いように思うのです。死刑制度について、存廃論について、私たちはどのくらい知っているでしょうか。自身の立場を明確に示せる人は、どれくらいいるのでしょうか。
SNS上では「どうせ死刑なのに」「人体実験にすべき」「死刑になるならせめて役にたってから」「死刑以上の刑を望む」「こんなクズ」というつぶやきも見かけました。犯罪者に人権を認めない立場です。
私は、こういった立場に反対です。死刑制度にも賛成できません。
一個人の力では変えることの難しい、社会の格差構造の影響を受けた犯罪者は少なくありません。事件において非難されるべきは犯罪者のみ、すべての責任を負うべきだと言い切るのは、弱者を切り捨てることにも繋がりかねないと思います。たとえ罪を犯したのが成人だとしても、もっと個別に適切な教育、治療をし、周りの環境を整えていくべきだ、というのが私の立場です。誰かが犯罪者にならないため、犯罪者が更生するためには、「厳罰」よりも「本人の心を誰かが理解する」ことの方が重要なのではないか、と思っています。
国家が犯罪者に対し、社会的非難として「刑罰」という害悪をもって報いることの意義は何でしょうか。「償う」ということは、どういうことでしょうか。ディベートの題材として「難しい問題だよね」と終わらせたり、専門家に任せたりするのではなく、もう一歩、自分に近づけて考えることが、大切ではないでしょうか。
次々と様々な問題が起こるなかで、こういった昔からの制度が抱える問題はどうしても埋もれていきがちです。ですがそれは、同時に弱者も埋もれていく可能性がある、ということを忘れたくないものです。
参考記事:
28日付 読売新聞朝刊(愛知13版)1面「京アニ放火殺人 逮捕」関連記事28、30、31面
27日付 朝日新聞夕刊(愛知4版)1面「京アニ放火殺人 容疑者逮捕」関連記事9面
28日付 朝日新聞朝刊(愛知14版)1面「京アニ放火殺人 容疑者逮捕」関連記事23面
28日付 日本経済新聞朝刊(中部12版)35版「完治前 異例の取り調べ」
参考資料:
辻村みよ子 『憲法(第6版)』日本評論社 2018年
井田良 丸山雅夫 『ケーススタディ刑法(第4版)』2015年
最大判昭和23年3月12日刑集2巻3号191頁
内閣府 基本的法制度に関する世論調査 https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-2.html
日本弁護士連合会 死刑制度に関する政府世論調査に対する意見書 https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2018/opinion_180614_2.pdf