「スティグマ」という言葉がある。特定の事象や属性を持った個人や集団に対する、間違った認識や根拠のない偏見、つまり、汚名や烙印といった意味である。
日本の近現代史を振り返ると、スティグマは非常事態に現れている。
例えば、関東大震災。戒厳令下の東京では、「鮮人の放火多し」や「不逞鮮人来襲すべし」とのデマが広がっており、被災者の間で朝鮮人に対する「危ない」というスティグマが形成されていた。それが被災者の恐怖心をかき立て、自警団の結成、そして、虐殺を誘発することとなった。さらに、中国人や無政府主義者、労働運動家などに対しても「危険」というスティグマが形成されており、虐殺された事例もあった。
関東大震災時に見られたスティグマは、今から振り返ると「過去の愚行」としか思えないだろう。しかし、クラスターが発生した京都産業大学関係者への差別や中傷を思い出してほしい。
京産生アルバイトの出勤拒否。飲食店の「京産生の入店お断り」の張り紙。職員家族のこどもに対する登園拒否。「京都コロナ大学」、「京産のくそガキまじで村八分にされろ」などの誹謗中傷。そして、「学生を殺しに行く」、「大学に火を付ける」などの脅迫。
はたして、関東大震災時に「不逞鮮人」とのスティグマを信じて、虐殺も厭わなかった自警団を私たちは「過去の愚かな集団」と一方的に断罪することはできるのか。今起きている京産大関係者に対する差別や中傷を見る限り、私は決してできないと考える。
21日、関西の3府県(大阪・京都・兵庫)に対する緊急事態宣言の解除が有力視されている。そうなると社会・経済活動が再開され、韓国のように集団感染が発生することもあり得るだろう。
その時、クラスターが起きた集団に対して、差別、中傷をするのか。それとも、拒絶して冷静な対応をとるのか。後者の判断ができるよう、私たちはスティグマが引き起こした関東大震災時の悲劇、そして、京都産業大学関係者への差別から学ばなければならない。
参考資料:
現代ビジネス「脅迫・中傷・投石・落書き・密告…多発する「コロナ差別事件」の全貌」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72245
成田龍一『シリーズ日本近現代史④ 大正デモクラシー』岩波新書、2007年