殺人事件を巡る損害賠償請求の時効規定は例外として廃止されるのでしょうか。遠からず司法判断が下されることになりそうです。
名古屋市西区のアパートで1999年、住民の高羽奈美子さんが殺害された事件で、夫の悟さんと長男の航平さんは、殺人罪で起訴された被告に対して損害賠償を求める民事訴訟を名古屋地裁に提起しました。
民法では、不法行為から20年で損害賠償の請求権がなくなると規定されています。本事件は発生から逮捕まで26年が経過しているため、損害賠償の請求ができないことになります。しかし本件においては、請求相手である犯人が不明なまま20年以上が経過しました。通常通りに時効を適用することは、社会正義に反しないのでしょうか。
■名古屋主婦殺害事件
1999年11月13日、首を刃物で刺された高羽奈美子さんの遺体が、自宅アパートの一室で発見されました。遺体の近くには、当時2歳だった長男の航平さんがいました。現場には犯人のものと思われる血痕が残され、現場近くでは傷を負った手を隠すように走っていく中年女性の目撃情報もありました。しかし、その後の捜査は行き詰まります。
悟さんは「犯人につながるものは一つたりとも失いたくない」との思いから、転居後も事件発生現場のアパートを借り続けました。また、殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」のメンバーとして、殺人事件などの公訴時効撤廃に尽力しました。その結果、刑事訴訟法は2010年に改正され、殺人事件などの公訴時効は廃止・延長されました。愛知県警による犯人とみられる女の似顔絵公開や、警察庁による捜査特別報奨金の対象事件指定なども行われましたが、犯人はなかなか特定されません。
事実が明らかにならないまま年月が過ぎましたが、発生から26年が経過した2025年、1人の容疑者が浮かび上がります。悟さんと高校の同級生だった女性のDNA型が、現場アパートに残された血痕と一致したのです。本人はDNA提出後に出頭し、容疑を認めました。
■加害者に対する損害賠償請求
殺人事件などの刑事事件では、検察官が拘禁刑や罰金刑といった刑事責任を追及する刑事訴訟と別に、被害者やその遺族が犯人に損害賠償を請求する民事訴訟を提起できます。
民法では、不法行為から20年で損害賠償の請求権がなくなると規定されています。これは、いつまでも賠償を求められるような状況が続くことは法律関係の安定にとって望ましくないため、長い間行使されていない権利は消滅させるという考え方に基づきます。
第七百二十四条 不法行為による損害賠償の請求権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないとき。
二 不法行為の時から二十年間行使しないとき。
本件における不法行為は、奈美子さんに対する殺人行為です。発生から26年が経過しているため、民法の規定からは損害賠償を請求することはできません。これに対し悟さんらは訴状で「だれが殺害したかわからなくした加害者が賠償を免れるのは、著しく正義・公平の理念に反する」と訴え、裁判所に時効を適用しないことを求めました。
■時効が撤廃される希望はあるのか
民法上の時効が適用されなかった例は、いくつか存在します。
東京都足立区で1978年に女性が殺害され、26年後に遺体が見つかった事件では、時効(2020年改正以前の旧民法上は「除斥期間」)が認められませんでした。遺体が見つからなかったことで相続人すら確定できないまま20年が過ぎた一方で、その原因を作った加害者が責任を免れるのは「著しく正義・公平の理念に反する」と最高裁は判断したのです。
旧優生保護法下で強制的に不妊手術を受けさせられた被害者らが国に損害賠償を求めた裁判においても、時効は適用されませんでした。旧優生保護法が成立した1948年から手術に関する規定が廃止された96年までの間に、約2万5千人が手術を受け、うち約1万6千人は本人の同意を得ていませんでした。最高裁は時効について「著しく正義・公平の理念に反し、容認できない場合は適用されない」との判断を下しました。
■今後の遺族救済につながるか
容疑者に対して損害賠償を求めることを明らかにした記者会見で、悟さんは「後に続く方々にも損害賠償の道が開けるように闘っていきたい。金額の問題ではない」と決意を口にしました。
悟さんらの訴えにより、「時効」をめぐる民事・刑事間の差異が広く知られることとなりました。警察の捜査によって事実関係が明らかになった事件であれば、例外として時効を廃止・延長することは可能のように思えます。
悟さんと航平さんの決意が未解決事件の被害者や遺族らの希望となるように、現行民法上の「時効」についてしっかりと議論していく必要があります。
参考記事:
・2026年3月31日付 朝日新聞(西部) 29面 「26年後の逮捕 遺族が被告提訴」
・2026年3月31日付 読売新聞(西部) 30面 「名古屋刺殺 被告を提訴」
・2026年3月7日付 読売新聞オンライン 「名古屋女性殺害、夫が安福久美子被告に損害賠償請求へ…20年過ぎても請求できる『判例勝ち取りたい』」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260307-GYT1T00321/
・2025年11月14日付 朝日新聞デジタル 「写真の中の母、ともに歩んだ父 息子の26年間 名古屋女性殺害事件」
https://digital.asahi.com/articles/ASTCF527DTCFOXIE057M.html
・2025年11月13日付 朝日新聞オンライン 「『今夜、逮捕します』26年経て動き出した時間 名古屋女性殺害事件」
https://digital.asahi.com/articles/ASTCD0DY4TCDOIPE006M.html
・2025年10月30日付 朝日新聞デジタル 「26年間借り続けた部屋、容疑者逮捕に驚く遺族 名古屋女性殺害事件」
https://digital.asahi.com/articles/ASTB03J8PTB0OIPE01VM.html
・24年11月13日 読売新聞オンライン 「犯人の血痕残る現場アパート、『手がかり消したくない』転居後も借り続ける夫の執念…名古屋主婦殺害25年」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20241113-OYT1T50039/
・2026年3月31日付 西日本新聞 「名古屋主婦殺害 遺族が提訴」
・2026年3月9日付 Nagoya TV News 「27年前の殺人事件に、損害賠償請求は可能なのか…遺族『事例をつくりたい』 名古屋市西区の主婦殺害事件」
https://youtu.be/TtsinhaOv5A?si=EdeIQTYJ3InCO4nf
(最終閲覧はすべて2026年3月31日)