「かわいい」はアウト? ルッキズムの視点で容姿への言及について考える

筆者が所属する学部では12月末に卒業論文の締め切りがありました。例年よりも早い期限だったため多少焦る気持ちもあったのですが、大学4年間の学びの集大成ともいえるものであるため、時間をかけて準備してきました。

今回は筆者が卒業論文のテーマにしたルッキズムについて紹介したいと思います。ルッキズムとは容姿に基づく差別を意味し、外見至上主義なとども訳されます。差別の対象は、身体的特徴から服装に関するものまで多岐にわたります。

日本では容姿に関する言及は悪意がないものであれば、特段問題視されないことがあります。例えば他者の外見に対して「かわいい」「かっこいい」などとプラスに捉えられる表現は、コミュニケーションの一種として日常会話でも耳にします。一方、欧米圏を中心とした国々では他人から容姿を批判、言及されることはボディシェイミングと呼ばれ、貶すことはもちろん、褒めることも問題視されているのです。

筆者は2年前に大学の短期留学プログラムでオーストラリアに滞在していました。ここでも他者の容姿に対して不用意にコメントすることは良くないマナーとみなされています。「他者の容姿に言及しない」社会で生活をするうちに自分のなかに変化が現れました。学校に通う際にメイクをしたり、髪の毛をセットしたりすることはほとんどなくなり、衣服への関心も薄れ、なんでも良いから着ていれば良いと思うようになったのです。日本にいたときは当たり前にしていたことでも、生活する社会の影響を受け、こうも変わるのかと実感し、周りからの反応を気にしなくても良いことの生きやすさに気づきました。

この経験から、日本で容姿を気にしすぎてしまうことの問題点は個人の側ではなくむしろ社会にあるのではないのかと考え、特定の身体的特徴を「美しい」とみなす価値観はどのようにして社会の中で形成されていくのか関心を持ちました。

1980年代は「女性雑誌の時代」と呼ばれ、女性ファッション誌が多く刊行され、誌面上はもちろん、そこに掲載される広告でも女性らしさが強調されました。当時ファッション誌には多くの多国籍企業の広告も掲載され、そこには白人モデルを中心として外国人が多用されます。この現象を「文化帝国主義」「文化的画一化」として批判する議論が登場します。女性の身体の理想とされる形態が女性たちみずから望んで作り上げたものではなく、欧米の白人の顔立ちや体型をモデルとして化粧品産業によって提示されたものであること、欧米資本の化粧品を買うことによって白人風の「美しい」顔や身体が手に入れられると約束しているということが指摘されました。多様性が謳われるようになってきてはいるものの、美白や高い鼻、痩せ型が美しいとする現代にも残り続ける価値観はこの頃、日本に持ち込まれたといえます。

近年、これまでの画一的な美しさの基準を見直し、多様な容姿や体型を受け入れようとする盛り上がり、「ボディポジティブ(#BoPo)」が話題になっています。これは美をめぐるステレオタイプを払拭する考え方ではあるのですが、その流れだけではルッキズムをめぐる問題を解決できたとはいえません。ボディポジティブは従来の画一化された美の基準と戦おうとしていながらも、別の美の基準を持ち込みより上位に置き換えるだけのようになってしまっているからです。美のステレオタイプは解消されつつも、受け入れられる美の範囲が広がったに過ぎず、基準に当てはめて考えようとする傾向は依然として存在するのです。

ルッキズムが孕む問題点には差別や社会的不名誉、美の基準に沿うために投じられる時間、金銭や身体的リスクといった代償コストから、うつや摂食障害などの心理的問題まで、さまざまな形や程度があります。SNSを通じて容姿が整っているように見える人が目につきやすくなり、容姿を比較してしまう、過剰に気にする傾向は深刻化しているように思えます。多様性という言葉をよく耳にするようになってからは美のステレオタイプが解消されつつあるのかもしれません。しかし、他者の容姿について言及することに関してある程度寛容な日本では、知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまうことがあるかもしれません。「かわいい」と発する前に一度立ち止まり、考える習慣を身につけたいです。

参考資料

田中東子『ガールズ・メディア・スタディーズ』(北樹出版、2021年)

デボラL. ロード(栗原泉訳)『キレイならいいのか――ビューティー・バイアス』(亜紀書房、2012年)

西倉実季「『ルッキズム』概念の検討――外見にもとづく差別」(『和歌山大学教育学部紀要人文科学』71号、2021年)

「ルッキズム【2024】」『現代用語の基礎知識』https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=5002024_140300210