映画『揺さぶられる正義』から考える推定無罪の原則

〇SBSによる冤罪被害の現状
「一度黒って思われたら、白になることはないと思ってる」。冤罪被害を受けた人の言葉です。先日、関西テレビの上田大輔さんが監督した『揺さぶられる正義』を鑑賞しました。

以下、物語のあらすじです(公式HPより抜粋)。この記事は『揺さぶられる正義』の内容について触れています。

“上田が記者1年目から取材を始めた「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome)※」。通称SBS。2010年代、赤ちゃんを揺さぶって虐待したと疑われ、親などが逮捕・起訴される事件が相次ぎ、マスコミも報じてきた。SBSは子ども虐待対応のための厚労省のマニュアルや診断ガイドにも掲載され、幼き命を守るという強い使命感を持って診断にあたる医師たち。その一方で、刑事弁護人と法学研究者たちによる「SBS検証プロジェクト※」が立ち上がった。チームは無実を訴える被告と家族たちに寄り添い、事故や病気の可能性を徹底的に調べていく。虐待をなくす正義と冤罪をなくす正義が激しく衝突し合っていた。やがて、無罪判決が続出する前代未聞の事態が巻き起こっていく。”
映画『揺さぶられる正義』公式HPより

この映画で最も印象的だった場面が、子への揺さぶり容疑で逮捕された赤阪友昭さんが1年半ぶりに家族と面会し、虐待したとされた息子と触れ合うシーンです。こんな愛のある人が虐待などするはずがないと、正直思いました。

物語の後半、甥への揺さぶりの容疑で逮捕された今西貴広さんについて、弁護士の秋田さんは一審前の面会で「彼は無罪だ」と思ったようです。一方、監督の上田さんは今西さんの逮捕・起訴に違和感を持ちませんでした。「正直、妥当だと思った」と言います。

話は進んで5年後、出所した今西さんの姿がありました。私は、出所した今西さんを見て全くそんな事をするとは思えない人に見えました。秋田さんの言うことが理解できました。一人一人について、しっかりと向き合うと、最初からそんな事をする人間ではないと分かります。しかし、一審判決は甘くなく、何年も拘置所に拘留 されることになる人も多くいます。なぜ彼らがこんな思いをしなければいけないのでしょうか。司法の問題は深く、大きなものだと感じます。

〇逮捕報道が視聴者に与える印象は
「印象」が人に与える影響は思っている以上に大きいと思います。以前、殺人事件の公判を傍聴しました。初めての裁判で、どんな人が殺人を犯すのか関心がありました。被告が入廷した時、誰が被告なのか分かりませんでした。それくらい「どこにでもいるような普通の人」でした。「こんな普通の人が殺人を犯したのか」と思ったと同時に、普通そうな人でも「殺人犯」という情報が与えられると、ものすごく恐ろしい人に見えます。

この映画では、登場人物がいったんは悪質な犯罪者 とされ、世間から疑いの目を向けられます。映画の序盤は鑑賞する私たちも彼らのことをそんな目で見てしまうかもしれません。モザイク加工が施され、声も編集している映像は「犯人っぽさ」を感じてしまいます。

SBSで冤罪をかけられた今西さんが当時の逮捕報道を自ら見返すシーンがあります。逮捕報道の在り方について重要なシーンです。

上田、逮捕時の自らの逮捕報道を見返す今西さんに対して
「どう思った?」
今西「逮捕の映像いりますか。スローにして加工する必要ありました?」
上田「制作側は、『文面にしたらちゃんと事実を述べている』というだろう」

メディアの逮捕報道は、ほんの数分です。視聴者はそれを見て「悪い奴がいるものだ」と思います。でも、本人が罪を認め、それを裏付ける証拠が揃わない限り、冤罪の可能性は捨てられません。無実を主張する被告の実名、顔、住居の映像を映す必要があるのでしょうか。報ずることは簡単です。しかし仮に冤罪だった場合、その1分、2分が彼らの人生何十年を変えてしまう可能性すらあります。「最後まで信じてくれる人を大事にしようと思った」と今西さんは口にします。失った信頼を戻すことは難しいからこそ、メディアは何かを報道する時に、彼らの人生を変えてしまうかもしれない重責にあることを肝に銘ずるべきです。

〇推定無罪の原則を問い直す
この作品は映画だけでなく、カンテレ公式YouTubeでほとんどの映像が見ることが出来ます。果たして、現在の日本の司法において推定無罪の原則は成り立っているのでしょうか。冤罪の問題は私たちにも全く関係ない話ではありません。「自分の正義を問いただすこと」。それは冤罪だけでなく、誰かと対立した時に最も大切なことだと思います。誰もが被告になる可能性がある中、SBSのような冤罪問題があり、現在もどこかで戦っている人がいるということを知る機会になりました。