「言葉」の力を考える

気づけばもう12月。日に日に寒くなり、布団から出るのがつらい季節となりました。インフルエンザには「絶対かからない」のだと体調管理に気合が入ります。一年を振り返るにはまだ少し早いので、今回は私の経験から「言葉」の力について考えていこうと思います。

 

なぜ言葉について考えるのだろうと疑問を持たれた方もいらっしゃると思います。なので、まずは考えるに至ったきっかけから紹介しようと思います。私は、京都にある大学に在籍しているのですが、実家住まいのため毎日通学に2時間ほどかかっています。そんな時間を何とか有意義なものにしたいと思って始めたのが「読書」でした。先日もいつもと同じように本を読んでいた時、そこに綴られた言葉に心を動かされ、改めて言葉について考えてみようと思い、今に至ります。

 

幼いころの体験をきっかけに人に自分の気持ちや思っていることを伝えられなくなってしまった少女が主人公の作品でした。彼女は、人に嫌われてしまったらどうしようという不安に打ち勝つことができず、言葉を飲み込んできました。そんな少女と言葉の力を知って書けなくなってしまった小説家の会話の場面が印象的です。

 

・悩み事は、それが何であるのかわからないままにしておくのがいちばんよくない, だからできるだけ   言語化してみる。

・それは、大きかったもやもやが形を得ること。

・形がわかれば、自分でそれを捉えやすくなる。だから、何をすればいいのか、今まで気づかなかった解決策が見えてくるかもしれない。

・言語化は、簡単なことではない、でも難しいからこそ自分自身にじっくり向き合うことになる。

 

この場面からいくつものことを学びました。私も少女のように、自分の気持ちや悩みを誰かに打ち明けることが得意ではありません。今まで、それは単に周りに気を使われたくないといった理由からだと思っていたのですが、自分自身と真剣に向き合おうとしてこなかったのからなのです。そこにはっとさせられました。だから、今こうしてなぜ印象的だったのか、伝えたいと思ったのかを言葉することで、自分と向き合っています。

 

この少女は、小説家に背中をおされたことで、両親に自分の気持ちをきちんと伝え、また、両親もこれまでの思いを少女に伝えることができました。彼女が、自身と向き合い言葉にしからこそ、互いの勘違いにも気づき、「対話」することができたのだと思います。

 

こういった言葉の力は、悩み事に限ったことではなく、これからどう成長していくのかといった目標設定のときなどにも表れてくるのではないでしょうか。ゼミの志望理由書や課題である研究計画を書いていくうえで、これまでの漠然と研究したいという思いのその理由やどうやってそれを研究していくのかなどに展開し、具体性を帯びてきました。それは、提出できる形にしなければならないという緊張のもと、言語化したことで明確なものになりました。

実際やってみなければ、その解決策や研究計画が上手くいくかどうかはわかりませんが、まず言葉にないと、何も始まらないのだと感じました。

 

今日は、技術の進歩によって、手書きでものを書くことや対面で言葉を交わすことも以前と比べ少なくなってきました。それは、様々な障壁をなくすことにもつながりましたが、誰が書いても同じテキストで表示され、発信者の言葉を本当の意味で理解することを難しくしました。必ずしも手書きだからこの人が何を思うのか正しく読み取れるわけではありませんが、文字の癖や消し跡から頑張って書いたんだろうな、こういう人なんだろうなと想像することができます。

 

思いや考えを言葉にすることは簡単なことではありません。それは、この1年あらたにすの活動をしてきたからこそより感じます。ですが、それは自分にとっても、誰かとの関係においても欠かすことはできません。当たり前のことだけど、忘れてしまいがちな「言葉」の力について再認識するよい機会となりました。皆さんは、どれだけ自分と、家族・友人と向き合えているでしょうか。ちょっと立ち止まってみるのもいいのかもしれません。

 

参考

汐見夏衛「真夜中の底で君を待つ」https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344431324/