お祭りは終わっても 大阪・関西万博を振り返る

大阪・関西万博が閉幕してから約2週間。通学中にミャクミャクのキーホルダーやマスコットをつけている人を今でもよく見かけ、終わってしまったことに少し寂しさを感じます。あらたにすでは、開幕後から実際に訪れた体験談や共同取材の記事が掲載されてきました。遅ればせながら、筆者も人生初めての万博で感じたことを記していこうと思います。

筆者が訪れたのは10月初旬でした。閉幕が近づいていたこともあり、予想以上の人の多さに驚きました。まず印象に残ったのは、「非日常」を体験できたことです。会場に足を踏み入れた瞬間、その広さに圧倒されました。筆者が訪れたパビリオンは、ドイツ、オーストラリア、オーストリアの3か国です。数は多くありませんが、各国の料理を味わったりスタンプラリーをしたりと、濃い時間を過ごすことができました。日本にいながら世界の文化を実際に体験できる貴重さを実感し、パビリオンを出るころにはその国を好きになっている自分に気づきました。

待ち時間が長いことや、当日予約が難しいことは残念でしたが、友人と話したり周囲を眺めたりしていたため、それほど退屈することはありませんでした。少し並ぶだけで入場できるパビリオンもあり、好奇心の赴くままに会場内を歩くのが楽しかったです。どちらかというと、夜に会場を出たあと夢洲駅まで1時間ほど並ぶ必要があったことの方が大変でした。

長い待ち時間をより快適に過ごそうと、さまざまな工夫をしている来場者の姿も印象に残りました。中でも多くの人がコンパクトな折りたたみ椅子を持参しており、待ち時間だけでなく花火見物や休憩の際にも活用していました。筆者自身は持参しませんでしたが、会場にはベンチも多く、座る場所に困ることはほとんどありませんでした。それでも、少し休みたいときに使える椅子があると便利でしょう。今回初めて目にした光景でしたが、今後こうした工夫が他の大規模イベントやテーマパークでも広まってほしいと思います。

会場の給水機には給水回数がカウントされる仕組みがあり、ちょっとした遊び心を感じて面白かったです。各国のパビリオンでも、来場者を楽しませる工夫が随所に見られました。ドイツ館では並んでいる間にショーのような演出があり、オーストリア館では入場チケットとして種が埋め込まれたはがきサイズの紙を貰えました。

(10月7日、筆者撮影)

(10月7日、筆者撮影)

また、万博が進むにつれての盛り上がり方にも驚かされました。4月下旬までの入場者数は1日10万人未満でしたが、9月以降は20万人を超える日が多くなっていたそうです。SNS上でもパビリオンの情報がバズっていたりして、徐々に話題になっていました。開幕前、家族の中で万博に行く予定だったのは母と筆者だけでしたが、夏頃の盛り上がりを見て祖母や姉妹も訪れていました。実際に体験した人からの情報などが広がったことで、興味関心を持った人が増えたのではないかと感じます。

しかし、跡地利用や費用などの課題については今後も議論が必要です。特に大屋根リングがどこまで残されるのかは気になります。収支の見通しでは、万博の運営費は最大280億円の黒字になるとされています。朝日新聞によると、協会が計上した運営費は1160億円に上り、職員の人件費や会場清掃費、イベント関連費などに使われています。一方、建設費2350億円は運営費とは別枠であり、この部分には黒字や赤字といった収支計算は発生しません。さらに、警備費250億円は国が負担しているといいます。つまり、万博の運営だけで見れば黒字になる見込みですが、建設費や国の負担を含めて全体の採算性を考えると実際に黒字と言えるのかどうか、疑問が残ります。

以前、1970年の大阪万博とその時期の社説を分析したことがあるのですが、閉幕後には入場者数が予想以上だったこと、規模の大きさや国内外から高い関心を集めたことが評価されていました。一方で、現在と同じく費用や跡地利用について指摘されていました。過去の事例を繰り返すのではなく少しずつ改善してほしく思います。当時の万博開幕日(1970年3月14日)の朝日新聞の社説に以下の文がありました。

「万国博を単なるお祭に終らせてしまうか、次代への有意義な遺産とするか、カギをにぎるのは日本人自身なのである」

一過性のイベントではなく、訪れた人々の体験や記憶が少しずつ社会に根付き、次の世代がまた新しい万博を通して未来を感じられるようなものであってほしいと思います。

参考記事:

朝日新聞デジタル7日付「万博の運営費、230億~280億円の黒字見込み 建設費は別

朝日新聞デジタル27日付「大屋根リング、どれだけ残す? 万博のシンボル「幅広く保存を」の声も 費用負担・跡地開発ネック

読売新聞オンライン24日付「『万博ロス』に応え、『ミャクミャク』など会場内でしか買えなかった商品も…大阪・北区にストア

朝日新聞1970年3月14日付「社説 日本万国博の開幕にあたって」