自然と文化の古都を揺さぶる「鹿騒動」 総裁選とSNS

9月末、筆者は1300年の歴史を誇る古都・奈良を訪れました。お目当てはなんといっても大仏さま。「知慧と慈悲の光明を遍く照らし出されているほとけ」という意味を持つ盧舎那(るしゃな)仏を一目見ようと、東大寺に足を運びました。

訪れたのは9月23日、秋分の日。東大寺がある奈良公園は祝日にもかかわらず程よい混み具合で、国内外から訪れた観光客がのびのびと観光を楽しんでいました。大仏さまに手を合わせるひとや、園内に生息する鹿たちに鹿せんべいを与えるひと、豊かな自然を楽しむひとなど。総面積511.52ヘクタール、東京ドーム約108個分もの広さを誇り、長い歴史と美しい自然が融合した奈良公園の魅力は、実際に訪ねて初めて感じ取れるものでもありました。とりわけ世界最大級の木造建造物、東大寺に鎮座する大仏さまは圧巻でした。

近年、京都市では観光客の急増によるオーバーツーリズムが課題となり、「京都離れ」が囁かれるようになっています。ブルームバーグ社によると、今年のゴールデンウィークに主な寺社や史跡を訪れた人出は、奈良県が京都府を上回ったそうです。さらに、大阪・関西万博にあわせて最も多くのインバウンドが訪問している場所は奈良公園(奈良市)であるという調査結果もあります。

豊かな自然に癒され、歴史を体感できた奈良観光。しかし東京に戻りSNSを開くと、思わぬかたちで奈良県が注目の的になっていました。

きっかけは、自民党総裁選に勝利した高市早苗氏の発言です。朝日新聞によると、高市氏は9月22日の演説会で「奈良の女としては、奈良公園に1460頭以上すんでいる鹿のことを気にかけずにはいられない」とし、外国人観光客の中には「足で蹴り上げる、とんでもない人がいる。殴って怖がらせる人がいる。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、何かが行きすぎている」と訴えました。確かにSNS上では近年、公園の鹿が蹴られたり、たたかれたりしているように見える映像や写真が拡散されていました。

発言を受け、県の担当者は取材に応じ、「県や関係機関が把握している限り、殴る蹴るといった暴行は確認されていない」と語りました。公園内を毎日巡回している職員や保護活動に取り組む「奈良の鹿愛護会」、来園者からも直接の目撃情報は寄せられていないといいます。

しかし、発言をきっかけにSNSでは「奈良の鹿」が突如俎上にのりました。慶応大の津田正太郎教授は、「『奈良の鹿』の話題は、『迷惑な外国人』という全国的に広まっているフレームにはまり、とたんにトレンド化した」と指摘します。

SNSに溢れかえった「鹿への暴行」についての大量のつぶやきを前に、一体どれだけのひとが実際に奈良公園の現状を理解し、鹿と観光客との交流ぶりを知っているのだろうかと、疑問を持たずにはいられません。

穏やかな奈良公園に思いを馳せながら、殺伐としたSNSとどのように向き合っていったらよいものか、今も頭を悩ませています。

 

参考記事
朝日新聞デジタル 「シカと、外国人と 共生探る奈良 不確かな情報『観光業の努力に水を差す』
朝日新聞デジタル 「奈良のシカへの『暴行』はあるのか 観光客でにぎわう現場を歩いた
朝日新聞デジタル 「ネット『いっちょかみ』して、争点化? 自民総裁選にみる政治の役割――慶応大・津田正太郎教授
日経電子版 「インバウンド、大阪万博の他にどこ観光? 奈良公園が最も人気

参考資料
一般社団法人奈良県ビジターズビューロー 「奈良の魅力
奈良市観光協会 「奈良公園の見どころまるわかり!おすすめの巡り方や周辺グルメ・宿泊まで
奈良市観光協会 「大仏さまの全て―東大寺―
NewsPicks 「京都離れの日本人、金閣寺・清水寺でも集客減少-奈良が人気集める