被災した文化財はどうなるの? 災害時の文化財レスキューの役割とは

1950年5月30日に文化財保護法が公布され、2025年で75年が経ちます。文化財保護法は1949年に法隆寺金色堂壁画が火災により失われてしまったことをきっかけに制定されました。

 

文化財には有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6分野があります。さらにこれらの中で、とくに文部科学大臣が文化審議会の答申を受けて指定したものが国宝、重要文化財、史跡、名勝、天然記念物で、国の重点的な保護の対象とされています。

指定された文化財は修理や輸出する際などに制限が設けられます。修理の際には着手しようとする日の30日前までに文化庁長官に修理内容などを届け出なければならず、修理以外でも文化財の現状の変更や保存に影響を与える場合には長官の許可を得なければなりません。

 

1995年に起こった阪神淡路大震災は「文化財レスキュー」活動(被災文化財等救援事業)が始まったきっかけと言われています。災害の内容に応じて文化庁が立ち上げ、自然災害によって傷ついた文化財などを緊急で保全します。

2011年に発生した東日本大震災では多くの文化財が津波や地震によって被害を受けました。さらに原子力発電所の爆発事故によって人々が立ち入ることができない場所に文化財が取り残されてしまいました。

震災で被害を受けてしまった紙資料はていねいにクリーニングし、修復されました。被災前の状態に可能な限り復元されてから持ち主の元へと返却されます。津波などによって被災した資料は砂や泥、塩分などを取り除く必要があります。さらに海水の塩分によってカビの発生を促してしまうため多大な時間を必要とします。

被災した建物の中に長時間保管されていると、紙魚(しみ)などに食われてしまうことがあります。さらにくずし字で書かれている古文書は、判読できないまま、がれきと一緒に重要な資料が処分されてしまうこともあるそうです。

24年の能登半島地震でも文化財レスキュー事業や文化財ドクター派遣事業が行われました。倒壊してしまったお寺からは木造の薬師如来坐像など、民家からは地域の生活文化を伝える民具などが救け出されています。

能登半島地震で被災した建物の様子(2024年3月15日、2枚とも筆者撮影)

 

古文書などはその土地の歴史を伝える重要な文化財です。現在ではインターネット上でも資料を確認することができます。救出された古文書やインターネットを活用し、人々の暮らしや伝統芸能などの記憶や記録を継承することが重要です。

 

参考文献:

2025年1月29日 朝日新聞デジタル 原発被災地の伝統芸能、継承の難しさと新たな可能性 双葉で企画展

https://www.asahi.com/articles/AST1X3WJKT1XUGTB008M.html

 

参考資料:

奈良文化財研究所

https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/03/kami.html

文化財防災センター 文化財レスキュー

https://ch-drm.nich.go.jp/disaster_response/rescue.html#:~:text=%EF%BC%88%E6%B3%A8%EF%BC%89%E6%96%87%E5%8C%96%E5%BA%81%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%A2%AB%E7%81%BD,%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%82%822%E5%B9%B4%E9%96%93%E5%B1%95%E9%96%8B

文化庁 文化財保護制度の概要

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/bunkazai/sekaitokubetsu/01/sanko_4_1.html

e-gov法令検索 文化財保護法

https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC0100000214

文部科学省 文化資源の保存

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1332156.htm

石川県 令和6年能登半島地震「文化財レスキュー事業」及び「文化財ドクター派遣事業」について

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/r6notojishin/index.html