ガンビア通信の第3弾として、これから3回に分けてガンビアの横顔を紹介します。
アフリカ大陸最小の国として知られ、面積は11,300㎢と日本の秋田県とほぼ同じです。人口は約276万人、公用語は英語、その他にもマンディンゴ語、ウォロフ語、フラ語などの言語が使用されています。首都のバンジュールは政治や貿易の中心地として発展しています。
この国は北大西洋に面しているガンビア川の河口側以外はセネガルに囲まれています。特有の地形は植民地時代の遺産です。1678年に英国がこの地に進出し、奴隷貿易をめぐってフランスと争います。1765年にはガンビアはセネガンビア英国植民地の一部となりましたが、83年にその大半がフランス領に。1820年には英国がガンビア川の河口流域を保護領としたうえで、86年に自らの植民地としたことで、フランス領であったセネガルとの国境が確定しました。その後、1965年に英国より独立し現在のガンビア共和国になりました。
ガンビアにはイギリスの植民地時代の奴隷制度について学べる場所があります。それはジュフレやアルブレダといった農村に近く、ガンビア川に浮かぶクンタ・キンテ島(ジェームズ島)です。島の面積は約3500㎡の小さな島は河口から30㎞の場所に位置しています。奴隷貿易の重要な拠点とされ、2003年に「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」としてユネスコの世界遺産にも登録されています。登録当初は「ジェームズ島と関連遺跡群」といった名称でしたが、2011年に現在の名前に変更されました。
クンタ・キンテという名前の由来はアフリカ系アメリカ人小説家アレックス・ヘイリーが著した「ルーツ」という小説に隠されています。小説では黒人奴隷としてアメリカへ売られた祖父クンタ・キンテについて描かれています。この作品は全米で大人気になり、ノンフィクション部門のピューリッツァー賞、スピンガーン賞を受賞しました。この小説にちなみ現在の「クンタ・キンテ島」となった訳です。後にドラマ化され、苦難を描いたプライムタイム・エミー賞を受賞も受賞し、世界的に有名になりました。
クンタ・キンテ島へ向かうための船着き場には、両手の手錠がはずされた人物像が経っています。これは奴隷の解放を表すモニュメントです。早朝に向かったこともあってか、乗客は筆者を含め8名ほど。小舟に2人ずつ乗船して向かいます。約10分の乗船でした。
島に到着すると大きな要塞跡や砲台が目に入りました。この要塞の中には食事をするための場所や厨房、鍛冶場、出船前に奴隷たちが収容されていた施設などが残されています。それぞれの場所の近くには当時の様子を表したパネルなどもあり、島に残された一つ一つが大切に保護されている印象でした。
クンタ・キンテ島から戻り、次に博物館に向かいました。館内には植民地時代に奴隷に実際に使われていた手錠、首輪などが展示されていました。その他にも時系列が書かれたパネルや絵などで当時の島でどのようなことがあったか、分かりやすく説明されています。
広島県の原爆ドームやドイツのアウシュビッツ強制収容所など人類の負の歴史を伝える施設は世界中に数多く存在します。クンタ・キンテ島に足を運んだことで、過ちの歴史の一つを知ることができました。





