デジタル時代にアナログに触れる

「○○の秋」と言えばと聞かれたら、何と答えるでしょうか。「スポーツの秋」「食欲の秋」など人それぞれ思い浮かべるものは様々です。秋は間もなく終わりますが、今回は「読書の秋」に注目して書いていこうと思います。

 

11月18日付の読売新聞朝刊で、「デジタル教科書」についての議論が取り上げられていました。そこでは、全国の教育委員会を対象に行ったアンケート結果が示され、デジタル教科書の正式な教科書化に「6割」が懸念を抱いていることが明らかになりました。主な懸念としては、視力や姿勢といった子どもの健康面に関するものや通信障害などの設備面に関するものがあげられました。

 

また、子どもたちが実際に文字を「書く」機会が少なくなったことによる文章力やこれまで紙に書くことで深まっていた授業の理解度が低下することが不安要素として指摘しました。

 

記事であげられたこれらの懸念点は、デジタル化を今後促進していくうえで軽視することはできません。確かに、コロナ禍以後、教育のデジタル化は早急に議論を深める必要性が高まっています。しかし、これまで民間企業の参入などが少なく開かれた空間とは言えなかった教育現場です。デジタル化を促進しようにも一筋縄ではいかないのが現実でしょう。

 

英語をはじめとする他言語を学ぶ際は、音声を簡単に聞けるなどの利点はありますが、筆者自身もコロナ禍で教育のデジタル化を経験し、「タブレット端末が重いな」とか「紙の教科書より集中できないな」といった不便さを感じていました。それに加えて、デジタル機器に対する先生たちの知識不足もたびたび見られ、授業が滞ることがありました。そんなことになるなら無理やりデジタル化しなくても、紙でいいじゃないかというのが当時の生徒の率直な感想だったと思います。

 

子どもに教育をすることがその目的であるからこそ、社会の変化に応じてデジタル化する方がよいのか、これまでのアナログの形態を貫く方が望ましいのか、判断するのは容易ではありません。

 

一方、娯楽要素の強い紙媒体、例えば漫画や雑誌は近年、一気に電子化が進んだと感じます。筆者は、小学生のころから月刊のファッション誌を買っていました。ですが、現在そうした雑誌の多くが季刊となり、InstagramやWebページでの情報発信が主となっています。また、数々のアイドル誌が休刊となりました。スマートフォンなどで電子版が読めるようになったことで、紙の雑誌を買う人が少なくなっているのがその理由でしょう。

いつでもどこでも、好きな時に読めるその気軽さは否定できませんが、1ページ1ページめくって、好きな記事を何度も読んで、時にはお気に入りのスタイルを切り抜くなど、紙ならではの雑誌の楽しみがなくなってしまうのはなんとも残念です。

 

また、漫画も雑誌にも共通した魅力の一つが、何冊も集めて本棚に並べることではないでしょうか。ずっと読んできた漫画が最終巻を迎え、自分の本棚に全巻並べたときの達成感は、漫画アプリでは味わえません。それに、過去の雑誌と最新号を読み比べてみるとたった数年でも流行の移り変わりが見て取れておもしろいものです。

 

デジタル化の動きは、人々を本屋や図書館という場所から遠ざけてしまいました。SNSで見て気になった本を、ネットで注文して読むのが一般化したことで、全然興味なかったけど表紙が気になって手に取るといった偶然の出会いがなくなってしまったように感じます。図書館で本棚をじっくり見るだけでも、こんな作家さんがいるんだとか、この間ドラマでやってたやつだとか、自分の知らない新たな発見ができるものです。

 

デジタル化は、わざわざ本屋に行って、探してというような時間的な制限をなくしたし、そのもの自体を手にしなくても、既に持っている媒体で読めることで物理的な障壁もなくしました。自分の好きなこと、したいことだけをできる非常に効率的で豊かな生活が送れるようになったと言えるかもしれません。

 

ですが、筆者が幼いころに経験したような収集すること自体の楽しさやふらっと入った店で偶然の出会いというアナログにしかない魅力が失われつつあることは危惧すべきではないでしょうか。

 

どれだけ便利でも、アナログにはずっとあり続けただけの魅力と理由があるのだと思います。パソコンもいいけどやはり、ノートとペンの方がその人の思いがこもった文章になるだろうなと思いながら、パソコンと向き合いこの文章を書いています。デジタルが当たり前になった今だからこそ、一度アナログな方法に向き合ってみるのもいいのではないでしょうか。

 

参考記事

読売新聞 11月18日付朝刊(大阪13版)1面『デジタル教科書 「懸念」6割』

11月18日付朝刊(大阪13版)3面『スキャナー 「紙中心」高い支持』