多文化共生とは? ウトロ地区放火事件から学ぶ、歴史を知ることの意味

4年生にとって学生として最後の学期です。趣味に時間を費やしたり、アルバイトをしたりするのもいいですが、筆者はせっかくの大学生活なのだから興味をもった授業をいくつか受けています。

毎週楽しみにしている講義に、多文化共生論というものがあります。あたりまえにつかわれている「人種」や「日本人」という概念を問い直したり、日本や世界の移民問題について考えたりする講義です。

数週間前、今後の授業では在日コリアンを取り巻く社会問題について扱うことがアナウンスされました。筆者は韓国の文化に関心をもっているのですが、韓国と日本の歴史的背景をあまり知らないことを自覚し、ウトロ地域に足を運ぶことにしました。

ウトロ地区(京都府宇治市)は、太平洋戦争中、京都飛行場を建設するために集められた朝鮮人労働者の一部が戦後も住み続けた地域です。労働者たちは「住むところもある」などと好条件を宣伝されて日本に渡りました。しかし実際は、飯場(はんば)と呼ばれる6畳1間と約3畳の土間のみの宿舎で生活をしていました。

1945年に日本が敗戦すると飛行場の建設工事は中断されます。朝鮮人労働者は置き去りにされ、失業を余儀なくされたのです。この年はウトロの人々にとって「植民地支配からの解放であったと同時に、失業者への転落だった」といわれています。多くの労働者は帰国を希望しましたが、日本の植民地支配により故郷の生活基盤が破壊され、朝鮮半島が社会的にも政治的にも混乱していることや日本政府による財産の持ち出し制限、さらには生計の問題などで日本にとどまる人もいたそうです。2025年11月15日 筆者撮影:ウトロ平和祈念館の飯場再現展示

ウトロ平和祈念館の展示で筆者が特に関心をもったのが、2021年8月30日に発生した放火事件に関するものです。当時20代の男性がウトロ地区の木造家屋に放火し、計7棟に被害が出ました。この事件では、ウトロ平和祈念館で展示予定だった生活用品や立て看板など約40点が焼けました。平和祈念館の方にお話を聞いた際にも、「展示するためにきれいに残しておいたものが焼けてしまって残念だった」と語っていました。

当時を振り返るパネルには、いつもなら家の中にいた子どもがその日は偶然外出しており被害はなかったことや、家で飼っていた犬が翌日に亡くなったことも説明されています。

被告は公判で、起訴内容を認めたうえで「韓国人に対して敵対感情があった。平和祈念館の開館を阻止するためだった」と述べていました。ほかにも、地区のあゆみを紹介するウトロ平和祈念館が開館予定だったことに触れ、「(放火で)展示品を使えなくすれば開館の阻止につながる。達成感を得たかった」と動機を語っています。

この事件の判決については、偏見や嫌悪感が動機になったことを明確に認定したといわれています。歴史的背景を知らないまま情報を発信してしまうことや、そうした書き込みを鵜呑みにしてしまうこと、そして実際に事件につながってしまうことの怖さを肌で感じました。

展示を通じて、ネット上には在日朝鮮人やウトロ地区に対する悪質な書き込みが野放図に氾濫していることも知りました。筆者も授業を受けるまでは知らなかったことがたくさんあり、ウトロ以外のことも一つずつ学んでいきたいと思っています。ネット上では多くの情報に接触することができますが、物事の背景にある歴史や事情、根拠を知らないまま発信されているものもあります。表面的なものに目を奪われることなく、他者の文化や歴史を知ろうとすることが多文化共生の第一歩につながるのではないでしょうか。

参考資料

朝日新聞デジタル 「平和祈念館の開館『阻止したかった』 ウトロ放火、被告が語った動機https://digital.asahi.com/articles/ASQ675VD9Q67PTIL03P.html?iref=pc_ss_date_article

ウトロ平和祈念館 「ウトロ地区の歴史」https://www.utoro.jp/about/

日本経済新聞電子版 「ウトロ放火、懲役4年求刑 弁護側は情状酌量求め結審」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF21AC30R20C22A6000000/

日本経済新聞電子版 「京都・ウトロ地区放火、被告に懲役4年判決 京都地裁」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF060G70W2A800C2000000/