低投票率 責任は市民にも

 投票率最低 関心高まらず(読売)

当然の結果なのかもしれません。そもそも地方議会は何をしているのか分かりにくく、候補者は独自性を出しているつもりでも、有権者には同じように聞こえ、名前を覚えてもらおうとすれば、選挙カーを用いた名前の連呼が騒音だと言わてしまう。負の要素が山積する以上、有権者が離れていくのは無理もないのかもしれません。

26日に統一地方選の後半戦の投開票が行われました。今回の選挙でも投票率の低下が課題となり、62市長選の平均投票率は50.53%と、統一地方選の平均としては過去最低となり、東京の11区長選の投票率も44.11%と、こちらも過去最低に次ぐ低さとなりました。無投票も増加し、295市議選の総定員の3.58%が無投票当選となり、総務省のデータによると、1955年以降最低となっています。一方で明るい話題もあり、市議選の総定員数に占める女性の割合が15.88%となり、過去最高となるなど、地方政治への女性参加の拡大が見られました。明るい話題もあったものの、前半戦より低投票率や無投票が問題になり、地方政治は最も身近ながら、市民にどこか遠いような印象を持たれてしまうという課題が浮彫りになるのが地方自治体の選挙なのではないかと感じずにはいられないのは筆者だけでしょうか。

今日は、なぜ低投票率が改善されないのかを筆者なりに考えていきたいと思います。今回の選挙では、筆者は少ない日数ではありますが、某区議選候補者の選挙活動のボランティアスタッフを務めました。市民側と候補者側の両面から投票率の低下を考えるためです。以前の投稿で取り上げた名前の連呼が中心でした。殆どの方は耳を貸してはくれません。最初はこれでいいのかと疑問を感じていましたが、最終日の選挙活動終了後、やむを得ないのではないかと感じるようになりました。選挙期間にならないと活動されていない候補者も数多くいるのは事実です。しかし、選挙期間でなくとも毎日毎週駅前で演説を行っている方や市政や区政の動向に関するレポートを配布している方もいらっしゃいますし、ITに長けた方は自らHPやSNSを更新しています。やり方は確かに問題かもしれません。一方的な情報発信では市民の関心を引き出すことは難しいでしょう。しかし、今、出来ることに取り組んでいる議員を批判してばかりで、我々市民は無批判で良いのでしょうか。自ら情報を得ようとせず、議員からの取り組みをただ待つだけというのは民主主義の担い手として本来あるべき姿なのでしょうか。「いくらアピールしても主張や政策が伝わらないなら、とりあえず名前だけ覚えてもらって投票してもらおう。」筆者の目には、名前の連呼は議員の諦めのように映りました。平日の日中に開催されている議会や委員会に行けというのは難しいでしょう。ならば、議員の配布物を受け取ってみたり、区議会のHPを見てみるくらいの市民としての「責任」は果たしてもいいのではないでしょうか。

27日付各紙朝刊 統一地方選関連面