今朝の朝日新聞1面、特集記事の紹介に「無投票の村 40年ぶり村長選」の見出しを見つけました。「なるほど。この村では40年間にわたり2人以上の立候補者が出ず、代替わりのような形で村長が変わってきたのか。ついに村民が声を上げる時が来たか」。そう勝手に考えたのちに特集記事を開きました。読み進めて15秒、私は唖然とさせられました。その驚いた部分を少しだけ引用させていただきます。
なぜこんなに長く村長選がなかったのか―。村を歩いてわかったのは、選挙で生じたいがみあいへの違和感と、選挙をしなくても行政に住民の声を届ける仕組みを持っていたことだった。
あなたはどう感じましたか。「選挙が必ずしもプラスに働いていなかった」、「選挙がなくても村民の意見を吸い上げることができている」。私はこう感じました。それゆえに、私の衝撃を皆さんに伝えたくてこの記事を取り上げました。ぜひ話題にした新聞記事も読んでいただきたいです。
今回、舞台となったのは宮崎県諸塚村。この村では、40年も村長選がなかったものの、代わりに自治公民館制度という村民の意見を伝える形が出来上がっていました。だから、村長選で議論をたたかわせ、民意を問わずとも、「自らが政治の担い手である」という話し合いによって、長いあいだ自治が行われていたのです。
我々の身の回りに落とし込んでみましょう。暮らしのなかに諸塚村のような構造がしっかり出来上がっているでしょうか。残念ながら、近所付き合いの関係が以前より希薄になっているなかで、住民と自治体の話し合いが盛んに行われているところは少ないでしょう。
私たちはどうすればいいのでしょうか。諸塚村を見習って、話し合いの場を設けるべきでしょうか。そうは思いません。すべきことはまず選挙に参加すること、投票に行くことです。諸塚村には選挙がない代わりに自治公民館制度があります。私たちにはそれがないけれど選挙があります。投票に行くことは、話し合いの場を設けてそれを自治体の長に伝えるよりもよっぽど楽なことだとは思いませんか。
4月12日に実施された統一地方選挙の前半戦、全国平均の投票率は過去最低を更新しました。4月26日は、市区町村レベルでの選挙が行われます。40年間にもわたり村長選がなかった諸塚村も、今年はついに村長選が行われます。村民の関心はもちろん高いでしょう。「自らが政治の担い手である」という彼らの姿勢に、私たちは学ぶことが多いと感じます。
参考記事: 16日付朝日新聞朝刊(東京13版)4面「360°地方から考える 40年ぶりの村長選」