とある小学校、サッカーで遊ぶ少年たち。
「あ、大きく蹴りすぎちゃった」「早くとって来いよー」「ごめんごめん!」
校庭の隅まで少年がボールを拾いに行く。「ネットが張ってあってよかった」。少年は道路に飛び出なかったボールに一安心して、友達のもとへ戻っていく。これは、私が小学生のころに経験した少しヒヤリとした一場面です。もしネットが校庭に張ってなかったとしたら―。
11年前、愛媛県今治市で、当時小学校6年生の男児が蹴ったサッカーボールが、ゴールと校門の上を越えて飛び出し、外の道路に転がりました。たまたまオートバイで走っていた当時85歳の男性は、そのボールを避けようとして転倒。足の骨折で入院したのち、約1年4か月後に死亡しました。男性の遺族はこの事故で、男児側に損害賠償を求める裁判を起こします。この訴訟で争点となったのは「校庭でボールをゴールに向かって蹴った」という行為に、親の監督責任があるかどうか、でした。
4月9日、その判決が最高裁で言い渡されました。「今回の場合、事故は具体的に予測できるような特別な事情もなかった」。最高裁は遺族側の請求を退けたのです。これまで親の監督責任が問われたケースでは、それを認めた判決がほとんどでしたが、司法の判断が変わりました。常識的な見方が採用されたといってもいいのではないでしょうか。では、亡くなった男性の遺族は、どこに責任を追及すればいいのでしょうか。
私は学校の設備に問題があったと考えます。冒頭に書いたように、私が通っていた小学校では、校庭の道路に面する側に高いネットが張られていました。このくらいの設備がどこの小学校にも必要なのではないでしょうか。
この事故をきっかけに、「周りに十分注意して遊ぶように」といった注意事項を全校の児童に徹底している学校は少なくないでしょうし、サッカーを禁止したところもあるかもしれません。でも、もしもボールが飛び出してしまったら、という少しの不安を感じながら、子供たちが楽しく遊べるはずはありません。かといって危険性があるからという理由で子どもたちの遊びを制限することも許せません。
学校の設置者である今治市の責任を明らかにするとともに、全国の子どもたちが外で思いっきり遊べるような環境づくりをもう一度考え直す「責任」が、私たちすべての大人にあると思います。
参考記事:10日付読売新聞朝刊(13版)1面「偶然の事故 親は免責」、3面「過大な監督責任 否定」、36面「勝訴の父親 思い複雑」
同日付朝日新聞朝刊(13版)1面「親の賠償責任を限定」、2面「『親に責任』どこまで」
同日付日本経済新聞(13版)39面「親の監督責任認めず」