再考:現行大学入試制度のメリットとは?

昨今、日本の教育界では、AIの普及やグローバル化を念頭においた、さまざまな教育改革が進められています。文科省は大学入試制度の変更を推進しており、センター試験は今年で最後となります。他にも、国公立、私立を問わず、多くの大学で推薦入試やAO入試の枠が増え、一般入試にも外部の英語検定試験を導入する動きが広がっています。

日本経済新聞の朝刊にも、日本と欧米の入試制度を比較した考察がありました。それぞれに長所、短所があるという中立的な論調でしたが、日本の入試を全面的に否定したり、時代遅れだと論じたりする記事が最近多いように感じます。

確かに、筆記一辺倒では学生の多様性を高めることは望めません。一方、新しい制度にも様々な問題点があり、絶対的に良いとは思えません。とはいえ、死刑の廃止や大麻合法化の問題と同様に、何事も欧米と比較して遅れている、国際基準に合わせなければならない、と論じる意見が散見されることにも強い違和感を覚えます。

そこで、日本の一般入試と米国の書類審査(+面接)型入試、双方を経験した身として、日本の試験のメリットを再考してみました。

一つ目は平等性です。米国では、SATやACTなどの共通試験のスコアに加え、小論文、高校の成績、課外活動歴、推薦状などに基づく総合評価によって合否が決まります。絶対的な評価軸がない分、恣意的な操作を加える余地が大きくなります。また、学生の人種面での多様性を維持するため「アファーマティブ・アクション」という制度が設けられており、結果的に黄色人種の合格率が低く抑えられています。

他方、日本では、医学部の面接を除き、試験の点数のみで合否が決まります。親のコネや賄賂などが付け入る隙がなく、人種や性別、浪人の回数などで不利になることは原則ありません。例外的に裏口入学などの不正が起こることはありますが。

二つ目は入試の仕組みが単純明快なことです。米国の大学を受験するには煩雑な準備や手続きが求められます。小論文は入試の専門家に繰り返し添削してもらう必要があり、推薦状も3〜5人程度の先生や部活のコーチなどに書いてもらわなければなりません。課外活動歴が重視されるため、勉強以外のこともあれこれやる必要があります。学術系の活動や音楽、スポーツなどで卓越した才能を持っている人や、生徒会会長などの肩書きを持っている人にとっては有利な制度ですが、特別なスキルを持っていない人にとっては大変です。受験のためだけに興味を持っていないことに中途半端に時間を割き、学外のコンテストなどに出場するのは大きな苦痛です。

日本では、高校教科書の内容を勉強したうえで過去問を解けば、一般入試に対応することができます。小手先のテクニックは不要で、王道に沿って地道に勉強すれば良いだけです。至って簡潔で明快な制度と言えるでしょう。

このように、日本の従来の制度にもメリットはあります。欧米のやり方を表面的に模倣しようとするだけでなく、様々な受験制度の長所、短所を丁寧に分析しながら、入試改革を進める必要があると思うのです。また、急激な変更は、受験生に大きな負担となります。なるべく多くの受験生と教員が受け入れられる形式で、段階的な変更が進むことを望みます。

 

参考記事:

16日付 日本経済新聞朝刊(東京13版)14面「欧米の大学入試改革 多様な志願者取り込む」