〈緊迫の中「第二の故郷」を訪ねる〉
中部国際空港を午前9時に発ったチェジュ航空7C1607便の機内は、所々に空席があった。ざっと見ての搭乗率は8割ほど。ほとんどが若い女性だった。
連日の日韓関係をめぐる報道を見て、居ても立っても居られなくなり、昨日、急遽韓国ソウルへ飛んだ。昨年8月から半年間留学していたソウルは、私にとって第二の故郷だ。気の置けない友人が沢山いる。行きつけだった飲食店もある。だから、韓国の人々が日本大使館前で日本製品を踏み潰す様子や、終わりの見えない両政府の非難の応酬に胸が痛んだ。「現地は一体どうなっているのか」。肉眼で確かめないことには、落ち着かなかった。
機内ではコンビニで買った朝刊に目を通した。各紙は今日も日韓関係の不和を報じている。「韓国格安航空会社 佐賀便など運休へ」(朝日)「首相『韓国は約束順守を』」(日経)。思わずため息が出た。対抗措置が新たな対抗措置を生み出す負の循環。「戦後最悪の日韓関係」が私たちに降りかかっていることを痛感せざるを得ない。
〈明洞で目にした同年代の抗議活動〉
10時40分、仁川国際空港に降り立った。入国審査が終わるや、私はまずソウル市内の繁華街・明洞(ミョンドン)へ向かった。この日の最高気温は32.9度。曇り空だが、歩くだけで汗ばむ陽気だった。メインストリートは平日のせいか、日本人観光客の姿がいつもより少ない。すれ違いざまに聞こえてくるのは英語や中国語ばかり。ただ、コスメショップの前では「お姉さん、安いですよ」「サービスありますよ」と片言の日本語で客を呼び込む店員の姿があった。日本人が主な顧客層なのだろう。安堵の気持ちが湧いてきた。しかしUNIQLOの前で「NO아베(NO安倍)」の文字を掲げる若い女性を見つけた。日本人観光客の多い明洞で、日本に抗議の意を表す人の姿。留学中にはあり得なかった光景だ。
彼女に声をかけると「どこの国の方ですか」と尋ねられた。日本人だと名乗ると、意外にも笑顔を見せてくれた。大学生だという彼女は「毎日正午から1時間、ここに立っているの。日本政府が打ち出した経済制裁に納得がいかなくて」と教えてくれた。
私は少し意地悪な質問をしてみた。「わざわざUNIQLOの前に立つのは、日本製品の不買運動に賛意を示しているから?」。すると彼女は「別に不買運動とかじゃなくて…ここは日本人が多いから、たくさんの人が私たちの意見を見てくれると思って」。聞くと、ソウル市内では彼女と同年代の人々が同様の行動をしているという。「どうすれば今の日韓関係が良くなると思う?」と尋ねると「徴用工や慰安婦にされたおじいさんとおばあさんたちに、日本政府が過ちを認めて安倍首相が直接謝罪に来れば解決すると思う」。彼女の抗議は日本人に対するものではなく、あくまで日本政府に対するものだった。
印象的だったのは、彼女と立ち話をしている10分間で3人の通行人が彼女に「頑張ってね」などと声をかけていた。中には飲み物を差し入れる人も。「いつもこんなに声をかけられるの?」と聞くと、彼女は「いや…たぶん今日は暑いから…」と照れ臭そうに笑った。明洞でさえこうした日本への抗議活動があることを目の当たりにした私は、日韓関係の悪化が次のステージに入ってしまったことを悟った。
〈不買運動の影響「答えられない」〉
不買運動の筆頭に挙げられるのは、日本のビールだ。テレビでは日本のビールを捨てたり、店頭から回収したりする姿をよく見かけた。新聞でも「韓国の一部には日本製品の不買を推進する運動もある」(日経)など、深刻な状況が見受けられる。実態はどうなのか。私は明洞で韓国の友人クォン・デオク君(22)、あらたにすの同僚で韓国留学中の上野すだちさん(20)と合流し、ソウル市内のスーパーやコンビニを出来る限り回ってみた。もしかしたら店頭に日本のビールが一つも無いのだろうか…などと考えていたが、どの店にもアサヒビールやサッポロビールが韓国のビールと共に販売されていた。ただ、韓国の大手スーパー「ロッテマート」のパート従業員は「最近、日本の商品はあまり売れないよ」と表情を曇らせる。
ソウル市の別の繁華街・新村(シンチョン)にある日本ブランドの店も訪れた。無印良品の店内は客足がまばらだった。しかし店員は「これは別に不買運動のせいというわけではない。むしろ不買運動の影響より天気の良し悪しで客足の数が推移している」という。
UNIQLOの方も客の姿がほとんどない。店員に不買運動の影響が尋ねても、苦笑しながら「それは答えられない」の一点張り。側にいたデオク君は「不買運動の影響が無いなら『知らない』と言うはず。たぶん不買運動の影響があるから、答えられないのだろう」とのこと。
とはいえ、不買運動の影はロッテマートのパートが言っていた「売れ行きの悪さ」くらいだ。商品を棚から下ろすなどの明確な不買運動の現場は見つけられなかった。
〈日本のビールで晩酌をする男性〉
夜、新村のコンビニの前で日本のビールを飲みながら談笑している男性2人組を見つけた。その姿に胸が熱くなり、思わず声をかけていた。エビスビールを飲んでいた男性は、日本に10回以上来たことがあるとのこと。「長崎や大阪にも行ったよ。不買運動?それは個々人で捉え方に差異があるし、僕は気にせず日本の物を買うよ。今の関係悪化は、韓日両国に正すべきところがあるんじゃないかな」と笑顔で語った。
日本に対してどんな印象を持っているかを尋ねると「旅行先で出会った日本人と今もFacebookで付き合いがあるよ。個人的に安倍政権は嫌いだけれど、僕は日本の友達との交流があるから日本を嫌いになることはない。今は旅行を中止したり、反日的な報道が流れたりして、葛藤は多いけれども、直接的な交流があればきっと大丈夫だよ」という。彼の言葉に私は希望を覚えた。別れ際に握手を交わした。
その後、デオク君と新村の居酒屋で飲んでいると、彼がポツリポツリと語り始めた。「実は俺、日本に行く前は、日本は信用できない国だと思っていた。でも、旅行をして日本人と交流するうちにどんどん日本が好きになった。さっきの人も言っていたけれど、民間の交流が日韓の未来を築いていくんじゃないかな」。
彼の言葉に私は頷いた。韓国観光公社によると、昨年1年間で韓国を訪れた日本人は約295万人。また、日本政府観光局によると昨年訪日した韓国人観光客は約753万人。最近は不買運動の影響で微減だというが、依然として韓国の海外旅行の人気ランキングでは日本が上位に上がっている。関係悪化に絶望するのはまだ早い。
〈日本のボールペンを愛用する韓国人学生〉
明けて24日。私は光化門へ向かった。ここは朴槿恵政権を打倒する「ろうそくデモ」の現場でもあり、現在も何かしらの抗議集会が開かれている。光化門近くの大型書店「教保文庫」で日本関連の書籍の売れ行きについて店員に尋ねると「売れ行きに大きな変化はない。少なくとも書店には不買運動の流れは来ていない」という。やはり報道で見るようなあからさまな不買運動は限定的なのだろうか。
私は日本大使館前の慰安婦像にも訪れた。ここでは大学生が日本政府へ抗議の意思を訴えるために座り込みをしている。座り込みをしていた女子大学生に不買運動について尋ねると「以前から日本製品の不買運動はありましたよ。でも、日本が半導体輸出を規制したから大ごとになったのではないでしょうか」。一方で「私は日本のボールペンが好きでよく使うんですけれど…最近の雰囲気からすると、ちょっと人前で使うのが気まずくなりました」とこぼした。日本政府に異議を唱える韓国人でさえ日本製品を愛用しているが、むしろ不買運動によって日本製品の使用にためらいをもたらしているようだ。
〈「UNIQLOの商品宅配しない」〉
「どいてどいて!」
突然、慰安婦像の周りに報道陣が詰めかけてきた。その数はざっと50人。ネームプレートを見るとKBS、SBS、YTN、聯合ニュース、東亜日報…。韓国の主要メディアが勢ぞろいだ。中にはTBSなど日本のメディアの姿もある。訳もわからず立ち尽くしたためテレビ局のカメラマンから「君のバッグが邪魔だよ!」と怒られてしまった。
すると、横断幕を持った男性数人が報道陣の前に現れた。「過去の出来事を反省しない安倍政権の経済報復を糾弾する」と書かれてある。
ハンドマイクを持った男性が口を開いた。「私たち宅配労働者は、UNIQLOの商品を宅配しません!」。どうやら、日本製品の配送をボイコットするらしい。男性が宣言すると、カメラのフラッシュがバチバチとたかれた。まるで、日韓関係の悪化が火花となって散るかのように。
〈カメラの前で本音を語った〉
ボイコット宣言を目の当たりにした衝撃が冷めやらぬ中、飛行機の時間が迫っていた。私は土産物を買うため再び明洞に足を運んだ。
いそいそと買い求め、地下鉄の駅に向かおうとした時、昨日話を聞いた女子大生がUNIQLOの前にいるのを見つけた。昨日と同じ抗議の文字を掲げている。本当に毎日立っているのだ。目が合うと「あぁ、昨日の」と頰を緩ませた。「もう日本に帰るの?」と彼女が尋ねてくる。「本当はもっとゆっくり滞在したかったのだけれど…」と私が言いかけると、テレビカメラを持った男性が近付いてきた。韓国公共放送のカメラマンだといい、どうやら彼女を取材していたらしい。カメラマンは私にインタビューをしてきた。「日本人として、今回の不買運動をどうお考えですか」。
私は言葉に詰まった。咄嗟に、昨日から見てきた韓国の姿を振り返った。日本のビールが販売されて、日本製品を愛用する人がいる。それは事実だ。だが同時に日本製品や日本企業を嫌悪する人も確かにいるのだ。ごく一部だと信じたい。が、報道によってその波紋はどんどん広がっていく。先ほどの宅配ボイコットには、正直やるせ無さを覚えていた。一体、不買運動が何をもたらすのだろう。日本政府への抗議の気持ちは理解できる。しかし不買運動が良い結果をもたらすだろうか。逡巡したのち、私はたどたどしい韓国語で答えた。
「不買運動をする人たちの気持ちも分かります。でも、不買運動が韓日関係の改善につながりますか?私は分からないんです。どうしてここまで韓日関係が悪化してしまったのか。だから、私は知りたい。どうすれば日本と韓国が仲良くなれるのか」。
震える声で私は訴えた。カメラは私の瞳を捉えていた。
分からない。それが私の本音だった。カメラマンは満足そうにカメラを下ろした。この先の日韓関係がどうなってしまうのだろう。不安を覚えながら、私は帰国の途についた。今はただ、これ以上関係が悪化しないよう、祈ることしかできない。
※お詫び…記事中で昨年1年間で韓国を訪れた日本人を当初約37万5000人と記していましたが、正しくは約295万人でした。筆者が資料を確認した際、途中推計値と見間違えていました。お詫びして訂正いたします。(7月25日21時40分に訂正致しました)。
参考記事:
23日付朝日新聞朝刊(名古屋14版)33面「韓国格安航空会社 佐賀便など運休へ」
同日付日本経済新聞朝刊(東京13版)3面「首相『韓国は約束順守を』」
12日付日経新聞(電子版)「日韓対立『日本の責任』61% 韓国世論調査」
6月4日付朝日新聞(デジタル版)韓流、SNS世代が「第3の波」 訪韓日本人が過去
2月7日付日本経済新聞(電子版)「日本人の韓国旅行人気衰えず 18年28%増」
参考資料:
韓国気象庁ホームページ
https://www.weather.go.kr/weather/main.jsp
日本政府観光局「月別・年別統計データ」
https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/visitor_trends/
スペシャルサンクス:
クォン・デオク、上野すだち