7月1日、日本三大祭りの一つである祇園祭がついに始まった。この祭には「祇園御霊会」の別称があるとおり、平安時代には政争で負けたものたちを供養する意味合いが込められていた。この時代は、政治的敗者は怨霊になり、天災や疫病を引き起こすと信じられており、祇園祭のような御霊会で、荒ぶる怨霊を鎮めていたのであった。つまり、祇園祭とは、盛大な「ゴーストバスター祭り」だったのである。しかし、この1ヶ月にも及ぶ盛大なイベントが、逆説的にも、数多くの亡霊を生み出すことはあまり知られていない。
私が通う同志社大学では、祇園祭までに恋人ができなければ「残飯」と認定されるというエゲツない風習がある。それ故に、学内では祇園祭に近づくにつれて、脱「残飯」化のために異性を求める傾向にある。かくいう私もその一人である。
「脱残飯化計画」のために、まず実行したのは、女友達に異性を紹介してもらうというプランであった。幸いなことに、彼女の尽力もあり、私を含めた男2人と女2人でUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行くことが決まったのである。女友達が紹介してくれた女性は、ベビーフェイスで天然キャラという、私のような単純な男が大好きな女性であった。
この「ユニバプラン」は脱「残飯」化への大きな一歩になるのではないか。淡い期待を寄せていた。しかし、現実はそう甘くなかった……。その女性は、何があったか「全部お金を払ってくれる男じゃないと行かない!」と言い出したのであった。なんと業の深い女性であろうか。日々、貧乏生活を送る奨学生に対して、全額負担を要求してくるとは、まさに鬼畜の所業である。最終的にこの要求はのめないと判断した私と友人は「ユニバプラン」を断念せざるを得なかった。
▲祇園祭の足音が聞こえる新京極商店街。6月28日筆者撮影。
こうして「脱残飯化計画」は大失敗に終わったのである。しかし、諦めるのは、まだ早いのではないだろうか。同志社大学では、祇園祭「まで」に恋人ができないと「残飯」と呼ばれるのである。つまり、私の解釈が正しければ、7月1日から7月31日「まで」の祇園祭の期間中に恋人を作れば良いのである。とくに、祇園祭のピークである前祭(さきまつり)の宵々山(15日)と宵山(16日)の2日間は、四条周辺が歩行者天国となり、屋台なども出る。山鉾の駒形提灯(ちょうちん)に明かりが灯り、京の都は一気にお祭りムードに包まれる。
それ故に、この二日間は、京都の学生にとっては、クリスマスの様な聖なる日であり、異性と過ごせるか過ごせないかによって、リア充が非リアかが決まってくるのである。つまり、この特別な二日間にだれと祇園祭に行けるかが「残飯」になるかどうかの大きなターニングポイントになるのである。
「亡霊がヨーロッパを徘徊している、共産主義という亡霊が」
これはカール・マルクス『共産党宣言』の有名な序文の冒頭であるが、8月の同志社大学を徘徊しているのは、「共産主義という亡霊」ではなく、「残飯という亡霊」と「落単という亡霊」であろう。私たち「残飯」予備軍は、前者にならないためにも(勿論、後者もなってはならないが)、宵々山(15日)と宵山(16日)に勝負を決めなければならない。
さぁ、我ら同志社の「残飯」予備軍よ、宵々山、宵山に向けて立ち上がれ!
参考記事
1日付朝日新聞夕刊(4版)7面「祇園祭 節目の夏」
1日付朝日新聞夕刊(4版)11面「祇園祭 幕開け」
2日付読売新聞朝刊(13版)25面「開幕告げる「お千度の儀」」
参考文献
林屋辰三郎『京都』(岩波新書)岩波書店、1962年