友達と一緒にイタズラをしたこと。先生にこっぴどく叱られたこと。思い切って告白したこと・・・。昔の学生時代を振り返ると、輝かしい思い出が星の数ほどあります。特に、小中高の修学旅行が未だに忘れられません。広島平和記念資料館で見た展示品は、教科書以上に衝撃を受けました。
しかし、修学旅行は絶対に必要なイベントでしょうか。
教員と生徒が準備に要する時間、金額は大きな負担です。英語教育やいじめ問題、部活動など学校への要求は、年々多様化しています。教員の負担を考慮すると、それらに応えるには何かを減らす必要があります。
過去に戻ってみると「修学」ではなかったように感じます。経験上、生徒は「思い出作り」、教員は「その土地の歴史を学ぶこと」「集団行動を通して、社会のマナーを知ること」を第一に考えています。この目的意識の差をなくさなければ、両者ともに有意義な時間は過ごせません。
国内では、東京ディズニーランドのようなテーマパークが人気の行き先です。また、修学旅行生であろう集団が、行列のできる有名店に並ぶ姿をよく見かけます。果たしてこれらは「修学」なのでしょうか。人間関係を学ぶにしても、少し違和感を抱きます。
なぜ遠方に出向くのでしょうか。近年では海外に足を踏み入れる学校も存在しています。しかし、金銭的にどうしても・・・という家庭も少なくありません。
なので、私は舞台を地元、もしくは隣県にしたら面白いと考えます。地元でも、学校や自宅周辺から離れて、農業体験や働く人にインタビュー、特産品がどのように作られているのか調査するなど、工夫によっては何でも出来ます。また、集団で何泊かして、より深く濃密な時間を過ごすことで、人間関係の学びもカバーできます。
ここまで、自説を述べてきましたが、当時の私にとって修学旅行は「狭い教室から抜け出せる絶好の機会」でした。平日のほとんどの時間を、椅子に座って教科書とにらめっこ。綺麗に並べられた机は、何とも堅苦しい印象を受けました。要するに「非日常や刺激をみんなで共有したい」のです。そこに学びが加わることで、修学旅行が成り立ちます。
私が暮らす京都では、日々様々な制服を着た学生を見かけます。外へ外へと視野を広げることはいいのですが、「ミニマム」な旅行も推奨します。工夫次第で、いくらでも楽しみながら学ぶことは出来ます。
参考記事:
19日付 朝日新聞朝刊 13版10面「どう思いますか 修学旅行」