どえりゃ~変わる日本語

方言を話す人って魅力的に見えませんか。会話中にポロッと出てくる独特な言い回しに、心打たれる場面があります。大学のキャンパスは、まさに方言の洪水が日々起きています。たまに聞こえてくる地元の言葉を耳にすると、石川啄木が上野駅へふるさとの訛を聴きに行ったのも納得できます。

その方言ですが、東京外大の教授によると、平成に突入してから社会的地位が上昇したと指摘しています。明治以降、国語の統一化を目指す中、撲滅すべき対象として見なされていました。しかし、戦後から少しずつ受け入れられるようになり、約5年前は東京の人が「じぇじぇじぇ」と話すまでに。この撲滅から娯楽の対象へと移り変わる流れに伴い、方言の境界線が崩れていったのも確かです。実は「〇〇じゃん」や「うざい」も標準語ではありません。

そして、敬語も大きく変化しています。2007年に文化審議会が、従来の「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類から、さらに細かく分類し「謙譲語Ⅱ」と「美化語」を加えました。しかし、明確に境界線を設けたわけではないので、あくまでも目安として分けたとのこと。

また、年上が年下に対して敬語で会話をする、人間関係の深浅で話し方を変えるなど、よりフラットな使い方になりました。それにより、「後輩口調」と呼ばれる「〇〇っす」という言葉も、平成から広まりました。例として、「ダメっす」「行くっす」などが挙げられます。

日本語は「魚」のように街中をスイスイ泳ぎ、時代は「水槽」です。1つの行動にしても無数の表現が出来、それを声に出すと、話し手によって印象が大きく変化する。そこが面白さであり、難しいところでもあります。

まさに日本語が「平ら」に「成る」時代であったと実感しています。

参考記事:

9日付 読売新聞朝刊 13版11面「「方言」楽しみ 「敬語」平等化」