反日とは何か

半年間の留学が終わり、昨日の昼に韓国から帰国した。空港の到着ロビーには、母が迎えに来てくれた。開口一番に言われたのが「あんた、大丈夫だったの?」

韓国の3.1独立運動100周年の影響を心配していたという。「外務省から渡航の注意みたいなのが出てたよ」と気を揉んでいた。言われてみれば前日の2月28日に、外務省からデモなどに関する海外安全情報が届いていた。在韓邦人に対し、大規模な行進や集会をできるだけ避けるように、とのことだった。

「万が一、ご本人が被害に遭った場合や邦人が被害に遭ったとの情報に接した場合には、大使館にご一報ください」

▲先月28日に届いた外務省の海外安全情報(画像は筆者のスクリーンショット)

万が一とは言うものの、本当に被害に遭うことはあるのだろうか。側から見れば「韓国が危ない」とも捉えかねない勧告文に、釈然としない思いを抱いた。

韓国は、日本人にとって危険な土地なのだろうか。私は留学中「反日思想」に出くわすことは無かった。むしろ積極的に植民地博物館や慰安婦像前の座り込みなど「反日的」と言われる場所に足を運んだが、そこにいる人々は日本人である私を歓迎してくれた。「よくここに来てくれた」と。日本人を見て恫喝をする人や手をあげる人はまずいない。日本人に対するヘイトスピーチも、見たことがない(ネット上は別だが)。暴行事件や人権問題が公衆の場で見当たらないなら、外務省の言う「被害」とはどこで何が起きることを指すのだろう。集会活動に伴う交通渋滞に気をつけろ、ということだろうか。

韓国の方々と触れ合い、分かったことがある。多くの韓国人は日本への憎悪や怨恨を抱いていないということだ。本日付の朝刊には、釜山の日本領事館近くに徴用工像が設置されたと報じられていた。日本側が日韓請求権協定などで「解消した」とする問題に何故ここまで固執するのか、と思うかもしれない。しかし韓国の人からすれば、像を設置するのは当然のことらしい。ソウルの日本大使館前には慰安婦像がある。以前、像の前で座り込みをしている若者の話を聞いた。若者は「政治問題としてではなく、個人的に問題だと思うから座り込んでいる」と、行動が自らの意思であることを強調した。

▲ソウルの日本大使館前にある慰安婦像(ソウル市内で筆者撮影)

実は日本大使館前だけでなく、韓国国内には慰安婦像や徴用工の像があちらこちらに設置されている。南部・光州市の慰安婦像にはこのような説明が記されていた。「韓国の痛みと心の傷を癒せるようにと願いを込めている」

▲韓国南部・光州市にある慰安婦像(光州広域市で筆者撮影)

報道では大使館前のものばかりを多く取り上げ、あたかも反日思想を煽るために設置されているような印象を受けるが、そういうことではない。過去の悲劇を思い設置されているのだ。日本への憎悪を煽るためのものではない。慰安婦像前の若者も「日本人や日本文化に嫌悪はない。ただ、日本政府の姿勢に疑問を抱いているだけだ」と教えてくれた。民族主義を煽り、対象の全てを忌み嫌う「反日」のイメージとは程遠い。

▲ソウル市内のターミナル駅の前にある徴用工像(ソウル市の龍山駅前で筆者撮影)

韓国の文在寅大統領は昨日、ソウル市内で開かれた3.1独立運動の記念式典で「親日残滓の清算はあまりにも長く先延ばしにされた宿題だ」と述べ、「当時、日本統治に協力的だった朝鮮の人々は反省すべきで、独立運動は礼遇を受けるべきという価値観を立て直すべき」とした。

これに対し「植民地支配の清算にこだわる限り未来志向の日韓関係は築けない」と断じる声が日本のマスメディアから出た。「請求権協定や慰安婦合意を無視する韓国は未来志向なのか」という疑念も。ちなみに、ここで言う「親日」とは、元々は日本統治に協力した朝鮮の人々を指すが、転じて日本との国交正常化を進めた朴正煕元大統領ひいてはその支持者を指すこともある。「文在寅大統領は自身の政権を批判する保守層に『親日残滓』のレッテルを貼り付け、国内の分断を煽るのではないか」「分断の過程で反日的な雰囲気を助長するのではないか」。そんな懸念もある。

▲朴槿恵政権を支持する市民の集会で張られていた横断幕。「”北朝鮮の非核化には関心がなく,殺人独裁者,金正恩(キム·ジョンウン)氏の大韓民国赤化に協力した文在寅は退け”」と書かれている。現大統領への嫌悪感を露わにしている(ソウル市内で筆者撮影)

しかし、杞憂ではないか。

前年の演説で文大統領は「加害者の日本が『終わった』と言ってはならない」と、歴史を省みない日本の姿勢を批判していた。今年は一転して「(民族精気の確立が)隣国との外交であつれきをつくろうとするものではない」。独立運動の記念事業が単なる日本批判ではないことを強調し、日本に謝罪を求めることは無かった。むしろ、日本への姿勢が軟化したように思える

韓国の友人は言う。「韓国人にとって、この3.1独立運動は『反日』の表しではない。あらゆる自由を抑圧する権力構造に抗ってきた民族の歴史への誇りだ」と。韓国の3.1独立運動は、4.19革命(1960年)、5.18光州民主化運動(1980年)、6月民主化抗争(1987年)、キャンドル革命(2016年)までつながる韓国民衆闘争の原型に当たる歴史とし理解されるべきだ。その友人の主張は明快だ。

今回の100周年記念式典は反日的な行事ではなく、権力や不条理な支配に異議を唱えた韓国の民主主義を思い起こすものなのだ。個々の事象を捉えて「反日的だ」と評するのは稚拙である。

そもそも「反日思想」とはどのような定義で、何をもって反日というのだろう?日本国政府の方針に異を唱えた時点で反日となるのだろうか。すると、先月の沖縄県民投票で「賛成」に投票した7割の人々は反日なのか。政権与党に反論する大部分の野党政治家は反日なのか。消費税増税を億劫に思えば反日なのか。

恐ろしいのは表層部分を取り上げて反日と決めつけ、憎悪を煽ることである。

単なるイメージで韓国をあげつらい、「反日」のレッテルをつける。東京や大阪といった大都市の真ん中で集会を開き「朝鮮人は死ね」などと差別主義を煽る。書店には中国や韓国に嫌悪感を抱かせるような嫌韓・嫌中本が並ぶ。

反日への批判が、正義を見出すとは思い難い。

参考記事:
2日付読売新聞朝刊(東京13版)3面「問題の根底は異様な対日観だ」
同日付朝日新聞朝刊(東京13版)11面「日本領事館近くに徴用工像」
同3面「文大統領、対日『未来志向』」
1日付韓国聯合ニュース日本語版「三・一独立運動の文大統領演説全文」