「反政府記者」とは 表現の違いはどこから?

「サウジ記者の事件だけど、新聞によって表現の違いがくっきり出てるね」

友人からふと、こんなことを言われました。

トルコのサウジアラビア領事館で10月2日、サウジアラビア国籍のジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が行方不明になった問題についてです。なるほど、当時手元にあった新聞を見比べてみると、確かに表現が違います。各紙では「著名」「政府を批判」「反体制」「記者」「ジャーナリスト」といった文字が踊っていました。友人の言う「傾向」のようなものがあるかもしれない、と思い調べてみることにしました。

ジャマル・カショギ氏

©朝日新聞
2016年1月、サウジアラビアの首都リヤドで朝日新聞記者のインタビューに応じたジャマル・カショギ氏

調べると言っても、全ての記事を調べるにはかなりの時間を要します。そこで3つの時期を指定し、在京5紙と2通信社の記事における表現の推移のみに絞りました。結果をまとめたものが以下の画像です。

「ジャマル・カショギ氏」を説明する 本文中の肩書

©あらたにす 「ジャマル・カショギ氏」を説明する 本文中の肩書

まず初出の記事を見ると、殆どが「反体制」「批判的」「反政府」といった表記を入れています。これは、元情報となった海外の報道(外電)の表現に影響されているようです。次に、サウジ政府が死亡を公表した記事を見ます。肩書きがだいぶ縮んでいるように見受けられます。そして最新の記事では、概ね国名の併記に留まっているようです。友人の言うような「表現の違い」は大きく開いていないように思えました。

また、調べている間に別の疑問点が浮かびました。各社違う日付でも表記がバラバラである、という点です。統一しないものだと言えばそこまでなのかもしれませんが、なんだか腑に落ちません。海外で特派員等、取材経験のある記者職の方に質問すると、意外な回答が返ってきました。

「新聞は記事の長さによって表現を変えることがある」
新聞の記事は掲載の都合上、用意している記事の末尾を切ることがあり、字数や行数単位で調整するので表現が変わりやすいといいます。つまり、その時々によって表現は変わるということ。「(ジャーナリスト絡みとはいえ)海外の情勢の話なので社ごとに表現が分かれるということは考えにくい」。社ごとの姿勢や傾向に差が出ているという話は思い込みだったようです。

となると、友人の見たタイミングが悪かったのでしょうか。曰く、「著名ジャーナリスト」と「反政府ジャーナリスト」の表現に分かれていたとのこと。偶然だとしても、時と場合によって表記にばらつきがあることは誤解を生むことにつながらないでしょうか。

「反政府」「反体制」という表記も気になるところです。事件の起こる前にカショギ氏を知っていた読者は少なかったと推測できます。しかしこれらの表現を使うことで、読み手の浮かべる人物像に過激なイメージを与えてしまう可能性があります。例として、日本政府を批判するジャーナリストを「反体制」と言い切れるでしょうか。

サウジアラビア政府とカショギ氏との間に何があったのか、まだ完全に明るみになったわけではありません。外電の翻訳であれ自社取材であれ、言葉選びについてはもう少し慎重な姿勢で臨むべきではないでしょうか。

参考記事
6日付 朝日新聞朝刊(東京14版)9面(国際)「「サウジ側協力に満足せず」トルコ外相、記者殺害めぐり」
6日付 読売新聞朝刊(東京13版)8面(経済)「孫氏 記者殺害に「遺憾」」
6日付 日本経済新聞朝刊(東京14版)9面(国際)「サウジ記者殺害事件 トルコ外相「必ず全容解明」」