憎しみの先にあるもの 9・11は何を残したのか

この数ヶ月、日本各地では立て続けに未曾有の大規模自然災害が起きています。犠牲者の方々には心よりのご冥福を祈るとともに、今もなお苦労を強いられている被災地の1日も早い復旧を願うばかりです。

大自然の脅威を前に、人間がいかに微力であるかを思い知らされます。一方で、文明を盾に衝突し合う人間の残忍さに恐ろしさを感じることもあります。

2001年9月11日に発生した米国同時多発テロから、もうすぐ17年が経過します。ニューヨークの世界貿易センターなどに国際テロ組織アルカイダがハイジャックした航空機が突入し、約3000人が亡くなりました。

追悼碑に刻まれた犠牲者の名前と添えられた花(筆者撮影)

 

現場となったグラウンド・ゼロには、犠牲者の名が刻まれた追悼碑とテロの悲劇を伝える「911メモリアル・ミュージアム」があります。訪れた昨年夏、並べられた犠牲者の顔写真を1枚1枚見ながら、彼らの無念や残された家族の悲しみを思い、胸が痛みました。

事件の経緯を辿りつつ、博物館が強く主張していたのは「9・11を忘れない」という誓いです。「テロの温床であるイスラム過激派組織を許さない」という強いメッセージも感じられました。

あの日から、世界は目まぐるしい変化を遂げ、イスラム教徒に向けられる目は厳しさを増しています。トランプ政権下の米国では中東・アフリカからの入国規制が行われ、欧州では増え続ける移民や難民の排斥が叫ばれています。

民間調査機関ピュー・リサーチセンターの調査によると、米国在住のイスラム教徒の約75%が「差別されていると強く感じている」そうです。「暴言を浴びせられた経験がある」という人も2割近くに上っています。

先月、英国のジョンソン前外相が、顔や体を布で覆うイスラム教徒の女性を「郵便箱」や「銀行強盗」に例え、物議を醸しました。侮辱にあたり謝罪すべきだと激しい非難を浴びています。

フランスやベルギーに続き、デンマークではイスラム女性のかぶり物であるニカブやブルカの着用を禁止する法律が施行されました。肌を覆うベールを男尊女卑の象徴とみなし、男性から抑圧され苦しんでいる女性を解放するためだと言います。

しかし、身につけるものを法律で禁止することこそ人権侵害にあたるはずです。禁止措置はイスラムを標的にしたという印象を与え、両者の溝を一層深めることになります。

社会の分断が進めば、憎しみが憎しみを呼び、争いを生みます。イスラム教徒によるテロ事件が発生したからと言って、諸悪の根源がイスラム思想にあるわけではありません。戦うべき相手は、テロであり、その背景にある暴力や貧困、差別や偏見であるはずです。

11月の米中間選挙を控え、アメリカの動向に世界中が注目しています。イスラムに対し強行姿勢を貫き続けることが、果たして同時多発テロの犠牲者の思いを晴らし、平和を守ることになるのでしょうか。9・11を前に、本当の追悼とは何なのかが問われています。

 

参考記事

9日付 朝日新聞朝刊(13版)3面(総合3)「文明を衝突させるのはだれ?」

同日付 読売新聞朝刊(14版)7面(国際)「9・11の傷は癒えたのか」、「墜落機の無念 風に響け」