私のことは忘れても、あなたはあなた

認知症医療の第一人者が認知症になった。少し前にそんな話を聞いて、「ああ、本当に誰でもなる可能性があるんだな」と思いました。読売新聞の連載「時代の証言者」では、今日からその人、長谷川和夫さん(89)を取り上げています。長谷川さんは「長谷川式簡易知能評価スケール」の生みの親。1974年に公表されたこのテストは、認知症診断のために今も日本中の医療機関で使われています。

異変を感じ始めたのは、1年半ぐらい前から。「確かさ」が揺らいできたんです。家の鍵をかけて外に出たはずなのに、鍵をかけたかどうかの確信が持てない。何度も玄関に戻ることを繰り返す。(長谷川さん談)

詳しく調べてもらうと、80歳代になってから表れやすい「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」だとわかりました。これは、脳に蓄積した特殊なたんぱく質が嗜銀顆粒という物質になって引き起こすタイプのものです。文藝春秋のインタビューでは、自身の診断にも「長谷川スケール」が用いられたものの、開発した本人であるために質問項目をすべて覚えてしまっていて結局別の心理テストを使ったというエピソードが紹介されていました。

それにしても、認知症は思ったより種類の多い病気です。アルツハイマー型は有名ですが、ほかにも幻覚や幻視が見られる「レビー小体型」、脳の血管の病気に起因する脳血管性のものなど、さまざまな種類があります。

記事を読んで、ずっと忘れていたある女性のことを思い出しました。家族でよく通っていた秋田の蕎麦屋で、ご主人と仲良く店を切り盛りしていました。中年くらいの方ですが笑顔が素敵で若々しく、会計の時におしゃべり好きな母とよく話し込んでいました。

ある日、店を出た両親の顔が曇っています。その女性が認知症になったようだとあとで聞かされました。詳しい病名は今もわからないのですが、しだいに店で顔を見ることがなくなっていきました。たまに見かけても、客として丁寧に接してはくれましたが以前のように知り合いとして親しく雑談することはなくなりました。ささいなことで「すみません、すみません」とよく謝っていて、それを見るのが忍びなかったです。みんなで外食をすることも減って、今ではすっかり足が遠のいてしまいました。

あの時は、もう私の知っている彼女はいないんだな、と悲しくなりました。しかし記事で、「もどかしい思いをすることもあるけれど、でも、毎日を楽しく、“今”を大切に生きている」という長谷川さんの言葉を読んで気づいたのです。それまでの自分を形づくっていた「確かさ」が失われていくのは、本人と家族が一番つらいはず。でもすぐにすべてが変わるわけではありません。お店には出られなくなっても、その人らしく楽しく過ごした日もあったと思うのです。私の知っているほんの一部の姿は見られなくなっても、彼女が彼女であることには変わりありません。そう考えたら、悲しいイメージで塗り固められていた思い出が、自分の中で少し違ったものになりました。

もう会うことはないかもしれないけれど、どこかで心穏やかに暮らしていてほしいと思います。またあの蕎麦を食べに行きたくなりました。

参考記事:11日付 読売新聞朝刊(東京12版)12面(投書)「時代の証言者 ボク、認知症 長谷川 和夫 89①」
5月6日文春オンライン(http://bunshun.jp/articles/-/7221″