これは毒か、それとも薬か――
私立から公立に転換した大学の経営が好調です。
本日付の読売新聞朝刊によると、志願倍率の大幅上昇や単年度赤字が黒字に転換するなど、経営が安定化する大学が相次いでいます。
例えば、2016年度に公立化した山口東京理科大学(山口県山陽小野田市)は、私大時の倍率が1~2倍程度でしたが、公立化初年度の倍率が33.2倍の超難関に一変しました。
そもそも何故、公立に転じるのか。
公立大の運営費は自治体の行政経費とみなされます。
すると、次のような循環が生まれます。
国は学生数・学部に応じて、自治体に配分する地方交付税交付金を増額する
⬇︎
増額のお陰で授業料が抑えられるため、志願者が増える
⬇︎
志願者が増えれば大学の収入も増える
結果、大学の懐具合は改善し、地域に大学生が行き交います。
経営難に苦しむ地方私大と若者の流出を防ぎたい自治体にとって、公立化は両者が抱える問題を一挙に解決するいわば「特効薬」。
官と学の利害が一致する合理的な措置です。
一方で課題も。
17年度に公立化した長野大学(長野県上田市)は、地元の入学者が私大時の7割から3割に。
地域の人材を確保したい思惑がある自治体にとって、現状は思わしくないようです。
また、公立化を「公金を投入して延命しただけ」との批判もあります。
授業内容や教授陣は私大時代と変わらないケースが多く、必ずしも教育の質向上に至っていないのは事実です。
「経営が危ない。じゃあ自治体に頼もう。学費は安くなるし、街から若者は減らない。おまけに大学の経営は安定する。公立化は良いことずくめじゃないか」
そんな単純に言い切ることはできないのです。
しかしながら、地域から大学が無くなる影響は計り知れません。
とくに地方では若い担い手の減少は死活問題に繋がります。
筆者の故郷・仙台では、東北最大の私大「東北学院大学」がキャンパスを一箇所に集約する計画を立てています。
撤退する地域では、学生が街からいなくなることを懸念する声が出ています。
学生向けの賃貸物件を仲介する不動産会社からは「完全撤退となれば死活問題」との声が上がり、商業施設の間では「学生がいなくなると労働力の確保が難しい」との懸念が広がっています。
大学が無くなることは街の生存能力が失われることに等しいのです。
延命措置としての公立化と共に、カリキュラムの改革を進めれば教育の質も向上するはず。
地域の「心臓」として、大学の環境を整えることが地方では喫緊の課題になりつつあります。
参考記事:
31日付読売新聞朝刊(東京13版)1面「私大、公立化で経営改善」
同31面「若者定着 願う地方」
2016年12月29日付河北新報朝刊(16版)みやぎ面「泉と多賀城 集約に懸念」