人生を全うするって…?

4月23日、元プロ野球選手の衣笠祥雄さんが71歳 で亡くなりました。衣笠さんは広島カープで活躍し、野球界では史上2人目の国民栄誉賞を受賞しました。

私の祖父は長年のカープファンです。わざわざマツダスタジアムに観に行くことが何よりの楽しみだと言います。そんな影響で、年に数回程度、東京で行われる広島戦を私も観戦することがあります。16年、広島が25年ぶりに優勝した際の試合も東京ドームで声援を送りました。

今回の衣笠さんの訃報に、祖父は「現役の時から見ていたから悲しい。でも人生を全うしたと思うよ。おじいちゃんもそういう人になりたいと思ってるよ」と言っていました。大学生の私には馴染のみない選手でも、長年の野球ファンには衝撃的なニュースだったのだ。そう思うと同時に、「衣笠さんは人生を全うした」というのはどういう意味かなと考えました。

「野球」という一つのことを極め、2215試合連続出場という記録は30年以上たった今も破られていません。また、ケガをしても試合に出場し続ける姿は、自分に与えられた野球選手としての役割を全うしているといえると思います。

しなしながら、記録や記憶に残ることが祖父の言った「人生を全うすること」ではないと思います。「社会においての自分の役目を果たす。人の役に立つこと」ではないでしょうか。その祖父は、79歳になった今も現役で働いています。体が動く限りは社会との関わりを持ち、世の中に貢献し続けていたいのだと思います。

高齢化が進み、元気な高齢者もたくさんおられます。人生の灯が消えるその日まで、支えらえる側でなく支える側でいたいと願う人は多いのではないでしょうか。衣笠さんの連続出場記録は多くの人生のベテラン達に勇気と希望を与えたに違いありません。

20歳の私には「人生を全うする」という意味はまだはっきりとはわかりません。でも、日ごろから今できることをコツコツ頑張ること、人の役に立つことを心掛けることが大切だと思います。まずは、何より社会においての自分の役割を探す、ことからはじめます。

20日付 読売新聞朝刊(千葉12版) 26面(追悼) 「追悼抄」 我を捨て日本一に貢献