「住民主体」 頼りすぎていませんか

筆者の住む東京・日野市は、ところどころに丘陵地帯が広がっています。先日散歩していると、近くの丘の上に広大な住宅団地を見つけました。1969(昭和44)年につくられた2,028戸の「百草団地」です。同じデザインの建物がびっしりと並ぶ光景には妙な迫力があります。最寄駅からは少し離れているので、敷地内にはショッピングセンターやクリニック、幼稚園や保育園なども揃っていました。

団地は一つの町だ、と言った人がいましたが、だとすると少子高齢化や老朽化した建物の管理など地域が抱える多くの問題も、この居住地区に凝縮されているのでしょうか。

読売新聞によると、2014年に「40年に消滅する可能性がある」と指摘された市町村のうち、約8割の713自治体で人口減がさらに加速することがわかりました。行政サービスなどの維持が困難な自治体が現れる可能性が高まっている、と危機感を深めています。

筆者の地元である秋田県はほぼ全域が「消滅可能性都市」とされているので、他人事ではありません。将来、行政サービスが立ち行かなくなる可能性も考えてか、県内では公共施設などの管理の一部を住民にもサポートしてもらう仕組みができています。地域住民や事業者が自治体と協働して道路や公園、海岸など公共の場所で清掃活動にあたる「アダプト・プログラム」はその一例で、全国でも同じような取り組みが始まっています。

自治体主導のまちづくりのキーワードのひとつは「住民主体」です。自分たちの暮らす場所をどうデザインしていくか議論する場がさらに重要になってくるでしょう。

一方で、「住民主体」が都合のいいように使われていないか気になります。たとえば「生活支援コーディネーター」です。2018年までに各自治体の地域包括支援センターに配置することが義務付けられています。高齢者の生活支援と「住民主体の介護」の仕組みづくりに向けて、高齢者向けサービスの開発やその提供者と利用者をつなぐ役割が期待されています。求められる資格などはないかわりに、報酬もありません。私の母がこのコーディネーターなのですが、問題は多いようです。

上の説明からもわかるように、まず仕事内容が明確ではないため、何をするかはコーディネーターの裁量に委ねられることになります。母は、「地域で活動しやすいように、役所にもっと周知してもらいたい」と言っていました。素養はあっても、地域にあまり馴染みのない人もいるはずです。市民への幅広い周知ができるのは行政機関だと思います。また母は、昨年はなかなか動けなかったが今年はいろいろ仕掛けていきたいと意気込んでいますが、一方で家庭生活がおろそかになってしまわないか心配しています。ある意味ボランティア的な立場のコーディネーターが、どこまで地域づくりを引っ張っていけるか不安は残ります。

どんな活動をするかは地域の特性に応じて変わるため、安易に仕事をプログラム化するのは危険ですが、あまりにふわふわとした期待だけでは成功例が出る一方で成果を残せない自治体も出てくるはずです。母の話を聞いていると、協働はどこへ行ってしまったのかと思うこともあります。

参考記事:4日付 読売新聞朝刊(東京13版)1面(総合)「消滅予想都市 人口減加速」関連記事3面
同日付 日本経済新聞朝刊(東京13版)17面(経済教室)「やさしい経済学 地域経済を『見える化』する⑦」