津波訴訟はお金のためか?

更地が広がる荒涼とした光景。かつて街があったことを証明するのは、ひっそりとたたずむ校舎だけ。しかし、そこに通っていたはずの児童の足跡はありませんでした。

石巻市立大川小学校。

7年前の3月11日、児童と職員が津波に流されました。80人が亡くなり、今も4人の行方がわかっていません。昨年10月に私は大川小を訪れ、児童の遺族からお話を伺いました。その方は震災当時大川小6年だった次女を亡くしました。津波の後、児童の遺体は軽トラックで運ばれ、学校近くの路上に並べられていたそうです。我が子の遺体に駆け寄る母親、父親。遺体のそばには児童の運動靴やランドセル、体育着、防犯ブザー・・・。

生存者の証言によると、津波が襲来する直前まで児童と職員たちは校庭にとどまっていたそうです。小学校の背後には裏山がありました。そこに駆け上がっていれば助かっていたのです。「なぜ犠牲になったのか」「どうして裏山に避難しなかったのか」。大川小の遺族には、今も我が子の死に対する疑念が晴れていない方がいます。

私も裏山に登ってみました。「裏山に登る」と言うよりも「坂を上る」と言った方が良いかもしれません。傾斜は穏やかで、児童たちが避難していた校庭から走って30秒ほどの場所にあります。「目の前に高台があるのに何故逃げなかったのか」。私の中にも疑問が湧いてきました。

 

△裏山から大川小を望む。昨年10月、石巻市で筆者撮影。

 

「助かっていれば見ていたであろう光景」

 

裏山からの景色を、遺族の方はそのように呼びます。「この光景を見る人が少しでも増えてくれれば」と願っていました。

震災はまだ終わっていません。明日は、大川小の遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めた控訴審判決が、仙台高裁で言い渡されます。主な争点は「危機管理マニュアルの不備」と「津波の予見性」。3年の娘を亡くした遺族の一人は「責任の所在を判決で明らかにしてほしい」と願っています。このような津波被害における責任の所在を問う「津波訴訟」は各地で起きています。

「損害賠償」と言うからでしょうか。先日会った知人は「未だにお金のために裁判を起こしているのか」と呆れた様子で話していました。

本当にお金のために訴訟を起こすのでしょうか。

以前、私が会ったある震災遺族の話があります。その方は沿岸部の会社に出勤していた息子を津波で亡くしました。近くに指定避難場所である高台があったにも関わらず、会社側は社員を避難させなかったのです。しかも津波が来るまでの間、上司は後片付けを指示。避難することなく津波に飲み込まれ、亡くなりました。「何故適切に避難しなかったのか」。遺族は会社側に何度も理由を尋ねましたが、明確な謝罪はなく、津波で社員が亡くなった後も避難マニュアルを改訂しませんでした。

「本当は裁判をする気は無かった。しかし、これ以上企業の管理下で命を失う人が現れないでほしかった」
遺族は止むを得ず訴訟に持ち込んだのです。結果は遺族側の敗訴でした。しかし、その遺族は今も息子が亡くなった状況を伝え続け、企業の危機管理や津波避難について訴えています。

訴訟は賠償金目当てに起こすのではありません。裁判で責任や原因を明らかにすることは、次の災害に備えて教訓を紡いでいくことではないでしょうか。

大川小の児童と教員は何故、裏山の光景を目にできなかったのか。その原因を知ることが、今後の災害で命を失わないことにつながると考えます。

 

参考記事:
25日付朝日新聞朝刊(東京13版)34面(社会)「津波で失った娘 今も心に」

編集部ブログ