「熊本地方で震度7を観測しました」
ニュースキャスターのうわずった声。
テレビに次々と映し出されるのは、倒壊した家々と揺れに怯える住民。
2016年4月14日のこと。
大学に入学したばかりの私は、遠く九州で起きた烈震をただ画面越しに眺めることしかできませんでした。
以前、私はまったく逆の立場にいました。
2011年3月11日に起きた巨大地震。
中学1年生の私は、仙台市内の自宅で激しい揺れに襲われました。
停電のため、ろくに情報も手に入りません。
地震の翌日に目にした新聞で、観測史上最大の揺れと巨大津波が襲来したことを知ったのです。
あの時もきっと、私のようにテレビ画面を眺めることしかできなかった人が大勢いたことでしょう。
遠くで起きた災害は、なかなか「我が事」に置き換えることはできません。
事実、東日本大震災を経験した私は今もあの日の記憶を忘れることはできませんが、申し訳ないことに熊本地震の記憶はただただテレビを見ていたことしか覚えていません。
熊本地震は発生からまもなく2年目を迎えようとしています。
本日付の朝日新聞朝刊では、熊本地震で大きな被害を受けた熊本県内12市町村に対する独自アンケートの結果を報じています。
現在の復興状況を聞いたところ、実に8割の自治体が「復興を終えるのにあと2年以上かかる」と答えています。
復興完了の数値を100としたとき、現在の進捗状況は12市町村の平均で51。
南阿蘇村に至っては25と、依然として3分の1も復興が完了していません。
一番の原因は、復興を担う業者や職員が不足していること。
国の財政支援についても7市町村が「どちらかといえば不十分」と答えています。
このままでは東京五輪が終わっても熊本の復興は訪れません。
担い手と資金不足の背景には「記憶の風化」も関係しているのではないでしょうか。
何をもって「復興」とするかは人によって異なりますが、その過程に不可欠なのは支援の手。
継続した支援のためには、災害を忘れないことが肝心です。
そして忘れないことは、結果的に次の災害への備えにもつながります。
2度の震度7に見舞われた熊本地震。
私たちが災害列島・日本に住んでいることを強く感じさせる地震でした。
建物の耐震基準は適切か、非常用の備蓄は十分か、車中泊による体調不良をどのようにして防ぐべきか、支援物資の仕分け方をより効率的にするには…。
教訓無くして防災は成り立ちません。
復興のためにも、防災啓発のためにも、被災地に目を向けることが必要です。
同じく記憶の風化が激しい東北出身者として、強く感じています。
参考記事:
8日付 朝日新聞朝刊 (東京13版) 28面 (社会) 「『復興あと2年以上』8割」