国際オリンピック委員会(IOC)は、北朝鮮の参加を正式に認め、開会式で朝鮮半島旗のもとに南北が合同入場するほか、アイスホッケー女子の南北合同チームを結成することなどを発表しました。
南北友和の雰囲気が出たことを歓迎する流れもありますが、一方で反発が絶えません。韓国世論の中でも若者を中心に否定的な意見が多く、韓国SBSテレビの調査では20から30歳代の約82パーセントが反対意見を持っているようです。
その理由の一つが、アイスホッケー女子の南北合同チームの結成です。合同チームになることで韓国側の選手から、ベンチ入りもしくはレギュラー入りできない選手が出てしまいます。チームに説明不足のまま政治が決定してしまったため韓国選手からすれば不満を持たざるを得ないでしょう。
ここから考えたのは、「友和が平和をもたらすか?」などの理念論よりも、「スポーツというのは政治の延長である」という冷厳な事実です。古典的な戦争学もしくは戦略学の中に、「戦争は政治が取る軍事的ツール」とする議論は数多くあります。著名なプロイセン軍人クラウゼヴィッツは、
戦争とは他の手段を持ってする政治の継続にほかならない
と自著の「戦争論」の中に残しています。
詳しくは論じませんが、オリンピック委員会など上層部が一方的に決定して、一線の監督や選手たちがてんやわんやしている姿は、「戦争」と「スポーツの国際大会」が武力手段を除くと同じ構造を持っていることを示しているように映ります。
それを前提にするなら、政軍関係の議論を知ることは今回の南北合同チーム結成問題の理解にも役立つでしょう。現在、アメリカの国家安全保障問題担当大統領補佐官であるハーバート・マクマスター氏は、ベトナム戦争時に軍が政治に介入しなかったことで政権が勝てない戦争を勝手に仕掛けてしまったと指摘しています。これは「政治家は軍事にうとく、軍人は政治にうとい」という現実を踏まえた考察です。スポーツも同じでしょう。「選手は政治にうとく、政治家はスポーツ(現場)にうとい」わけなのだからしっかりと監督や選手の意見を反映させた上で決定すべきだったと思います。
今回のオリンピックを「平和の象徴」と見るか「政治の延長」と見るか。意見は二極に分かれると思いますが、やはり「政治の延長」であるという認識を深めました。
参考記事:
21日付 読売新聞朝刊(14版)2面(総合)「文政権世論に苦慮」