親とは違う私の人生。
今日の朝日新聞、朝刊の生活欄に載った記事です。
巷では昨今、「毒親」という言葉を聞くようになりました。その名の通り、子どもにとって「毒」になってしまうような親のことを指します。メディアなどに取り上げられる事例から、子どもに対して過干渉というイメージが強いかもしれませんが、その逆で過度に関心がない場合も「毒親」に当てはまります。
記事では、大人になってもまだ「毒親」の束縛から逃れられない女性の思いがつづられていました。広島県の女性(49歳)。子供のころは、母の気に障ると「恥をかかされた」「誰に食べさせてもらっている」と怒られ、次第に、無意識のうちに母親の機嫌をとるようになっていったといいます。
また、自身が結婚し、親から離れられるようになってからも、「親不孝」という言葉にとらわれて、入院した母親の世話をこなしていたそうです。どんなに怒られても「私はだめなやつなので、こんなものだと思っていた」とただ受け入れることしかできませんでした。
親子というのは不思議なもので、どちらも自然に、お互いに対して『無条件で愛してくれる』と思っているように感じます。けれどもその期待が外れることも、残念ながらしばしばあって、そういうときに思うのは『自分が子として、親として、不出来な人間だったせいだ』ということも、また不思議なことです。
記事で女性は「母は、子どもは親の思い通りになって然るべきだ、子どもは自分を無条件で愛してくれると信じていた。そういう文化の人だったのだ」と語っています。特に日本では、こういう価値観が強いのではないでしょうか。
親と子が育った文化や環境は違います。親は親、子どもは子供。血は繋がっていても別の人間であるいう考え方が当たり前の時代にあるからこそ、「毒親」という言葉が生まれ、苦しむ人に関心が集まるようになったのでしょう。
自分の親はどうだったかと考えます。父母とも、いい親だなと感じます。たくさんお金をかけてもらって、好きなことをさせてもらって、いつか必ずお返しをしたいとも思っています。老後の世話も、自分の責任だと思っています。
それでも、大学を決めるときに、何としてでも遠くの大学へ合格して家を出たいと思ったあの気持ちを忘れられません。わたしには歳の離れた兄が一人いますが、「お兄ちゃんで止めておけばよかった」と言われた瞬間のことを忘れられません。引っ越しのときに、「一人じゃ何にもできないね」といった母のまなざしが忘れられません。
それに何も言い返せなかった、ごめんなさいとしか思えなかったあの気持ちも、きっと一生、忘れられません。
自分の親はもしかしたら「毒親」かもしれません。けれど、両親がどんなひとなのかも、両親がわたしに愛情を持っていることもわかっています。そして自分自身も、両親に対して愛情があるともう自覚できる年齢になりました。
そのうえで、合わないものは合わないのです。親の言葉にどうしても賛成できないことなんていくらでもあります。わたしだって私が知らないだけで、親を深く傷つけたことはたくさんあるでしょう。
それでもうまいことやっていけるのが親子だと思っています。前にも書いたとおり、血は繋がっていても別の人間。でも本当の他人とはまた違った不思議な関係。
さらにそれができなくても、自分の意思で歩いていける時代になりました。
親元を離れるのが当たり前になったこの時代に、もう一度、両親との距離を考えさせられる記事でした。
参考記事:
4日付 朝日新聞朝刊(大阪10版) 22面(生活) 「親とは違う 私の人生」