「自分で自身の命を絶つこと」─。(=広辞苑、第5版)
意味だけを見れば、自殺は自分一人で完結することのように思います。自らの手で自身の人生を強制終了する。そこには周囲の人たちへの影響は含まれていません。しかし、自殺はその定義以上に大きな意味を持っています。
7月に起きた長崎・佐世保の高1女子生徒殺害事件。殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)の父親(53)が5日、首をつった状態で見つかりました。その後死亡が確認され、長崎県警は自殺と見て調べています。
加害者家族とあって、精神的苦痛は大きかったでしょう。それ故の選択だったのかもしれません。しかし、あまりに身勝手です。少女の母親は昨年に病死しており、父親は少女にとって唯一の存在でした。それだけに、少女のショックも相当なものでしょう。
ただ、事件は終わっていません。今回の自殺によって、真相の解明が滞ってしまう恐れがあります。ともすれば、被害者遺族の気持ちを踏みにじる愚行ともなってしまいます。自分一人で完結するのはあまりに卑怯です。また、父親は事件直後「私は生きていていいんでしょうか」と、少女の代理人弁護士に相談していたそうです。自殺へと至る兆候はあったようです。未然に防ぐことはできなかったのか。その点も疑問に思ってしまいます。
個別的事象によって自殺がもたらす影響は様々です。しかし共通するのは、自殺によって悲しむ人、悪影響を被る人がいるということです。自殺が残すものは、本人の考える以上に大きいのです。
【参考記事】
6日付 朝日新聞朝刊(大阪14版)社会面「容疑少女の父 自宅で自殺か」
同日付 読売新聞朝刊(同版)社会面「容疑少女の父 自殺か」
同日付 日本経済新聞朝刊(同版)社会面「加害少女の父が自殺か」