歴史は繰り返す

 この一年、政治や社会に大きな変化をもたらす出来事が頻発しています。その目まぐるしい変化の行き着く先を予見するために過去を振り返る企画が、様々なメディアで増えています。最近のトランプ大統領とロシアの関係を疑問視する「ロシアゲート」には、ニクソン政権下に起きた盗聴事件「ウォーターゲート」との類似点が多いことから、歴史家やジャーナリストたちがトランプ氏の今後を予測しています。

 さて、今朝の朝日新聞のオピニオン面には東京大学の歴史学者本郷和人教授による「おごり、鎌倉幕府末期みたい」と題したコラムを掲載しています。今回の都議選で自民党が惨敗した原因を鎌倉幕府崩壊の理由と重ね合わせて分析したものです。非常に興味深い内容です。

 要約すると、1258年の内乱を境に内部の権力を一つにまとめ上げた幕府は、全人口の1パーセントに満たない、幕府と主従関係にある「御家人」に対する優遇政策を進めます。それに不満を持った他の階層の人々が抵抗を始め、最後には幕府の権力と権益の独占に危惧した御家人までもが反旗を翻すことで幕府そのものが崩壊します。その過程における「御家人を優遇する」点が現政権の加計学園の問題や稲田防衛相の続投などと酷似しているというのです。

 冒頭に挙げた「ロシアゲート」と同様に類似点が多く、いずれの分析にも強い説得力が感じられます。その一方で、過去と現在を単一のものとして比較することに警鐘を鳴らす論説もあります。

 ニューヨークタイムズ紙のオピニオン欄に載った、ハーバード大学のモシク・テムキン(Moshik Temkin)准教授の「歴史家は専門家になるべきでない」というコラムです。以下が私の仮訳です。

 歴史家は過去の経験から現在の問題を推測する「アナロジー」という思考方法を用いて分析をする。しかし、時代時代に特有の背景があり、単純なアナロジーによる分析は意味をなさない。歴史家は、アナロジーによる分析から離れ、代わりに「表面的には理解しがたい現在の現象がどのようにしてうまれたか」を説明し、そのプロセスに基づいて批評するべきだ。

 当然ながら歴史の本質的な部分は普遍性を帯びていますが、テムキン氏が指摘するように「過去と現在の出来事は前提が違う」という部分を見落とすと、そこにある事実を歪曲することになります。

 歴史からたくさんのことを学ぶことができますが、類似点と相違点を適切に見抜くことでより効果的に使えこなせるはずです。

6日付 朝日新聞朝刊 12面(オピニオン) 「おごり、鎌倉幕府末期みたい」
6月26日付 The New York Times 「Historians Shouldn’t Be Pundits」