大学で留学生チューターのアルバイトをしています。インドネシアからきて経済学研究科に入学した女性の日本語補助が業務なのですが、三歳のお子さんが通う保育所を探したいとのことで、近所の様々な保育所に問い合わせをすることが多くありました。しかし、いくら電話をかけても、「三歳児は定員がいっぱいで、受け入れはできないんです」と、入所の申し込みすらできない保育所ばかりで、普段はあまり身近ではない待機児童の問題が、現実のものなのだと痛感しました。
政府が「待機児童ゼロ」を目指す18年度末まで、あと1年と少しです。読売新聞によると、16年4月時点で、全国の保育定員は10万人以上、施設は1000カ所以上増加したと言います。しかし一方で、「子どもの出す声や音がうるさい」と苦情を受けた自治体は約75%にも上ったそうです。苦情への対応として、各自治体は対話や交流を増やす他、「園児や保護者に注意を促し」たり、「外遊びの時間を短縮」したりして、その結果、子どもの行動が制限される場合も多いようです。また、住民の反対にあい、開園が延期あるいは中止されたことさえあります。
先日、留学生と一緒に保育所を見学しにいったとき、園児が散歩に出かける場面に出会いました。子どもたちは外に出るのが嬉しいのか、大きな声ではしゃいでいます。たしかに、うるさい、と感じないわけではありません。ですが、親戚の子どもや、自分の幼い頃のことが思い出されて、ほほえましい気持ちになりました。
保育所から騒音がでるのは事実です。施設の構造を見直す余地があるかもしれません。しかし、音を気にして外遊びを減らしてしまうと、子どもたちの成長の機会が損なわれはしないかと、少し心配です。感受性豊かなときを屋内でばかり過ごさせるのはあまりに酷な行為です。外出を制限するのではなく、外出の時間帯をずらして外にいる子どもの数を減らし、音を少しでも小さくするなどの対策がとれないでしょうか。
また、苦情を訴える方にも、多少の寛容が求められます。読売新聞では、千葉大の木下勇教授は「都市化で地域のつながりが希薄化し、顔の見える関係が失われ、子どもという『他者』の声を騒音ととらえる人が増えているのでは」と指摘しています。おそらく、そうした人のほとんどは身近に子どもがいない方なのだと思います。「子ども」という存在に慣れていないため、その「知らないもの」の出す音を自然な音として認識できないのではないでしょうか。保育所が外に開かれた場所、地域との交流の場になることができれば、苦情も自ずと減っていくのではないか、と楽観的かもしれませんが考えてしまいます。
園児にも地域住民にも優しい地域社会が形成できるよう、保育所側、住民側が互いに歩み寄る必要があると感じます。
参考:8日付け 読売新聞朝刊 「保育所の音 苦情75%」