日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」。ある人物を取り上げ、ほぼ1カ月間、自伝を紹介しています。今月は高田賢三さん。ファッションデザイナーです。ファションをけん引してきました。アテネ五輪の選手団の公式ウエアも考案しました。一度、ファッション界から引退をしたものの今もデザイナーとして活躍している半生から学びます。
1970年代にファッションの楽しさを吹き込んだのは高田さんでした。ゆったりとしたシルエットで着やすさを重視した服作りをしたのです。こうしたカジュアルで若者向けの装いを提案し世界で成功を収めはじました。次はどんな作品を作ろうか、心を弾ませながら働いていたそうです。しかし、流行の移り変わりは早く、1980年代には、体の線にぴったりと合うボディコンが流行します。今までのように好きな服ばかり作っていられない状況になってしまいました。働く上で、純粋に夢を追ってはいられない。就活生の私も考えさせられます。
ブランドの買収・合併が繰り広げられ、マーケティングによる服作りとなりました。意識するのは売れるかどうか。売り上げを重視する経営者と衝突するようになっていったのです。そんな時に追い打ちをかけるように、パートナーと母の死。さらに右腕として働いていた人も病気で倒れてしまいます。これまで自ら設立した会社の買収劇について多くを語ってきていませんでした。ですが、今回のコラムでその舞台裏が書き記されています。
私は「夢」という言葉が好きだ。何ごとにも縛られず、恐れることもなく、自由を謳歌してきた。今後も「夢追い人」であり続けたい。
高田さんは綴っています。
しかし、新事業が軌道乗らず自己破産になる経験をしています。折り合いをつけながら乗り越え、願いを手にしていったのです。それはたくさんの挫折とともにあります。77歳になった今も夢を追う姿に感化されました。
ちなみに、今年の「私の履歴書」は小椋佳さんから始まりました。小椋さんが初のオリコン1位を獲得したオリジナルアルバム名は「夢追い人」。こじつけかもしれませんが、2016年の始まりと終わりがつながった気がします。みなさんもいつまでも胸に熱い思いをいだいていられますように。来年はさらに前に進める年になりますように。
参考記事:
12月30日付け 日本経済新聞 32面(文化面) 「私の履歴書 高田賢三(29)夢の矛盾」