大川小判決 これで終わりじゃない

 今年3月に震災遺構となった宮城県の石巻市立大川小学校。ここは東日本大震災の津波で児童74人と職員10人が死亡・行方不明となった大惨事が起きた場所です。本当は救えた命なのではないか、児童の遺族は問い続けています。

 26日、児童の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は計約14億3千万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。「津波が襲来することを予見し、不適切な場所に児童を避難させた過失がある」としました。

 北上川の河口から約4キロ離れた大川小は、避難場所に指定されており、津波浸水想定区域に入っていませんでした。しかし「1000年に1度」の規模の津波は、宮城県沿岸で高さ6メートルと予想され、大津波警報が発令されたことを知らせる防災行政無線は、一時的に児童が避難していた校庭でも聞こえたといいます。その後、市の広報車が拡声器を使って、沿岸の松林を津波が抜けてきたことを警告し、すぐに高台に避難するように呼びかけました。それでも学校側は、裏山が「地震で崩落、倒木の危険がある」として避難させませんでした。そこで避難場所に選んだのは標高7メートルしかない三角地帯。列を作って移動を始めた直後、津波にのまれてしまいました。

 まさかここに津波が来るとは思わなかったでしょう。具体的に被害を予見することもできなかったと思います。大きな地震のあとの混乱の中、児童をどう避難させるのか判断することも難しいのも当然です。すべての責任を現場にいた職員に押し付けるのは間違っていると思います。職員の多くが亡くなられています。ただ、防災行政無線やラジオで巨大な津波が到達するおそれがあることは伝えられていました。市の広報車は高台へすぐ避難するように呼びかけていました。結果論ですが、裏山に逃げるべきだった、と判断されても仕方のないことかもしれません。

 マニュアルがなくても、想定外でも、どんなことがあっても、学校は子供の命を守らなければいけない。そのようなことを伝える重い判決です。判決が出て終わりではありません。どう生かしていけるのか。宮城県と石巻市には、賠償とは別に、大きな課題が与えられました。そして、他の行政も想定外を想定する見直しが求められます。

参考記事:
27日付 各紙朝刊 「大川小 津波避難 学校に過失」関連面