時代を超えたコミュニケーションを担う「原爆の図」 丸木美術館の学芸員に聞きました

「原爆の図のある美術館が今月末から長期休館する」。そんな記事を目にした筆者は実物を見てみたいと思い、慌てて埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」を訪ねました。「芸術家は変わり者が多いです。その中でも特に丸木夫妻はユニークな活動をしました。ただ原爆の絵を描いただけではなく、環境問題などの全体像まで考えていました」と同館の学芸員・岡村幸宣さんは話します。

最寄駅から30分ほど歩くと、都幾川のほとりに美術館が立っています(24日、筆者撮影)

丸木夫妻は初めから原爆を描いていたわけではありません。夫である位里は広島出身の水墨画家で、妻の俊は油絵を描いていてそれぞれ異なる人生を歩んでいました。結婚後は戦争が始まったため埼玉県の南浦和に疎開します。戦況は次第に厳しくなり絵も売れず、十分な食糧さえありませんでした。そうした苦しい生活に耐えている中、1945年8月6日に広島に原爆が投下されました。位里は列車に乗って爆心地から2.6キロ離れた三滝町の実家へ向かうことにしました。変わり果てた街の中で全身に火傷を負い苦しむ人々を目の当たりにし、後に原爆の図を描くことになります。

第8部「救出」では原爆投下後の救出活動が実体験をもとに描かれています。先頭で負傷者を運ぶ男性は位里、大八車を引く女性は俊がモデルになっています(24日、筆者撮影)

作品の特徴は人間が主体であることです。当時、原爆を描いた画家は夫妻以外にもいましたが、その多くはキノコ雲などの風景画ばかりでした。人間不在の絵画に違和感を持った夫妻は巨大な和紙にほぼ等身大で、焼けて剥けた肌を引きずりながら歩く「幽霊」のような姿をした人間群像を描きました。

そして1950年2月に上野で開かれた第3回日本アンデパンダン展に最初の原爆の図である「幽霊」が発表されました。この頃は米ソの核兵器開発競争が始まった時期で、6月には朝鮮戦争が開戦します。マッカーサーが原爆使用を主張し、3度目の投下が検討される中、この絵は被爆者の痛みを喚起させたことで大きな意味を持ちます。原爆被害の「過去」を記憶するだけでなく、やがて起こる得る「未来」を予測する力があったのです。

原爆の図第2部「火」。夫妻は炎に焼かれ悶え苦しむ光景を目にしたわけではありませんが、伝達不可能な爆心地の「死」の光景を想像力で迫りました(24日、筆者撮影)

「核と人類は共存できるのか」という問いは2011年3月の福島第一原発事故後からひときわ深く考えられるようになりました。平和利用として導入された原子力発電は、生命を大量に奪う目的で使われる核兵器と同じく、日常を脅かす存在として捉えられるようになり、「核」に警鐘鳴らす作品が次々と生まれてきました。

第5部「少年少女」。多くの中学生が爆心地付近の建物疎開に動員され、命を落としました(24日、筆者撮影)

学芸員・岡村さんの著書「非核芸術案内」にはこのような言葉があります。

芸術は人間の営みのなかから生まれてくる。その営みに直結する問題である核の脅威と対峙するなかで、「非核芸術」と呼ぶべき作品があらわれ続けることは、決して不思議ではない

 

画家のパウル・クレーの残した言葉「芸術の役割は見えるものを表現することではなく、見えないものを見えるようにすることである」にもあるように、人間は放射線を知覚することはできません。時にはその危険性を隠そうと社会的な力がかかることもある世の中で、「非核芸術」は見えない核を見えるようにする試みの連続であるとも捉えられるのです。

 

筆者が通学する渋谷駅の構内にも巨大な非核芸術作品があります。岡本太郎の「明日の神話」です。メキシコで生死の象徴とされる骸骨を中央に描き、核を可視化させた作品です。核のもたらす悲劇に直面しながらもそれを超えていこうとする人間の力強いエネルギーを感じることができます。

原爆が炸裂する瞬間を描いた「明日の神話」(27日、筆者撮影)

原爆が投下されてから80年が経過し、当時を知る体験者は減り続けています。絵は人間の命よりも長く残り、次の時代の人も見ることができます。原爆の図の前に立てば夫妻の思いを知ることもできます。

位里の故郷である広島の太田川の風景と似ているため、この地に引越し美術館を作ったといいます(24日、筆者撮影)

美術大学の学生時代に丸木美術館と出会った岡村さんは残された作品から多くのことを学び、考えさせられたといいます。その中でも芸術作品には優劣はないと感じたそうです。「原爆の図は丸木夫妻しか書けない作品。しかし非核芸術作品は今でも生み出されています。体験者の証言をもとに2025 年の視点で作品を作るということです。これは丸木夫妻にはできません」

体験者でしか描けない作品もあればあとから見た人でしか描けない作品もあります。これは絵画にとどまらず、文学や音楽、漫画や映画も同じだといいます。「一つ前の時代を生きた人から引き受けて、次の時代の人に受け継いでもらう。こうして多くの人がバトンを繋げば繋ぐほど良い未来が待っているのではないでしょうか」。そう話してくれました。

 

 

 

参考文献:

 

非核芸術案内 岡村幸宣(2013年)

〈原爆の図〉のある美術館 岡村幸宣(2017年)

 

参考記事:

 

28日付 毎日新聞デジタル 休館前に「原爆の図」鑑賞 丸木美術館 来館者、例年の10倍近く(https://mainichi.jp/articles/20250928/ddl/k11/040/066000c

6日付 中国新聞デジタル 埼玉の原爆の図丸木美術館、改修で長期休館へ 駆け込みで来館者が増加(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/706805

8月26日付 朝日新聞デジタル (私のイチオシコレクション)原爆の図丸木美術館 岡村幸宣(https://digital.asahi.com/articles/DA3S16289192.html?iref=pc_ss_date_article