松葉杖で東京の4年後を考える

「もう東京きらい!」

  駅で階段を前にするたびに、そう叫んでいました。

  つい先日、東京を訪れました。その3週間前に階段で転び、足を捻挫していた筆者にとっては、松葉杖をつきながらのハードな上京でした。京都にずっと住んでいるため、もともと東京のような大都会は得意でないのですが、足が自由でない状態で動き回ったことでさらに苦手になりました。エレベーターはおろか、エスカレーターも設置していない駅があまりにも多かったのです。

  ちょうど、リオデジャネイロ五輪が終わったころで、まだパラリンピックを残しているとはいえ、東京の街は4年後に向けて浮き足立っているように見えました。都内の大学で開かれている1964年東京大会の聖火リレーで使われたトーチに触れられるイベントにも出向き、普段オリンピックにもスポーツにもほとんど関心のない筆者も、気づけば4年後のことを考えていました。

「4年後にここでオリンピック?え、無理やろ」
というのが、正直な感想でした。

 

  24日、リオ五輪に出場した日本代表選手団が帰国し、会見しました。その内容は各紙朝刊が伝えていますが、どれを見ても、「4年後も…」「東京五輪でも…」。2020年を見据えたコメントが目立ちます。4年後、東京でオリンピック・パラリンピックを開くには、何が必要でしょうか。もちろん、競技会場や観光客の宿泊施設の準備は必須でしょう。しかしながら、必要性を痛感したのは、交通機関のバリアフリー化です。

  たとえば、筆者が実際に不便だと感じたのは渋谷駅です。最も有名なのはハチ公口でしょうが、JR山手線のホームからそこに至るまでの道のりにエレベーターもエスカレーターもありません。ハチ公像を見るのを諦め、エレベーターでコンコース階に上がり、中央改札を出ると、また階段。松葉杖で荷物をもって階段をおりることは難しかったため、知人が迎えにきてくれるまで、その場で立ちつくすしかありませんでした。

  東京に不慣れとはいえ、日本人である筆者でもこれだけ苦労したのです。外国人観光客で、かつ身体に障がいがあるとなれば、はるかに大きな困難に直面するに違いありません。

  朝日新聞は今朝の紙面で、7月下旬に開かれたシンポジウム「広げよう、ユニバーサル社会」の様子を見開きで特集し、「共生社会」の実現を呼びかけました。パネルディスカッションでは、元アイススレッジスピードレース選手であるマセソン美季さんが次のように述べています。

「カナダでエレベーターを待っているとき、私が先頭で待っていると、『私が降りますから、どうぞ』と乗せていただくことが多い。日本では、我先と私の前に行って、先に行った者勝ちという感じ。2020年に向けて、外国からお客さまをお迎えするに当たって、少し考えた方がいい」

  マセソンさんと同じことを、日本に住む筆者も何度も体験しています。人の多い東京では、我先の頻度が高いように感じました。交通機関の設備の改善と同時に、人々の意識も変えていく必要があります。これからの4年間で、東京の街はどこまで「優しく」なれるのでしょうか。不安が胸をよぎります。

 

 

参考:25日付 各紙朝刊 リオ五輪出場選手団帰国関連記事

同日付 朝日新聞朝刊 「4年後へ その先へ 共生社会目指して」