「夢がかなった。歴史に名を刻んだんですね」。リオ五輪・柔道男子90キロ級で金メダリストとなったベイカー茉秋選手の言葉です。その裏で次の東京五輪への闘志を燃やす選手もいます。60キロ級で銅メダルを獲得した高藤直寿選手は「悔しさしかない。もっといい色のメダルを取りたいと、強く思った」と話しました。銀メダルや銅メダルを取っても悔しさを語る選手たち。4年間の努力が実ったかどうかは、見ている私たちにはわからないことなのかもしれません。
お家芸の復活となるでしょうか。柔道は12日に競技最終日を向かえ、男子は7つの階級すべてで、女子は5つの階級でメダルを獲得しました。金ゼロに終わったロンドン五輪後、さまざまな戦略や対話があったそうです。
復活を託された井上康生監督は、海老沼匡選手や羽賀龍之介選手を単身海外に送りました。日本での恵まれた環境を抜け出し、さまざまな国の選手と対戦しました。また重量級では「100、100超復活への道」というLINEのグループを作り、選手とのコミュニケーションも大切にしたそうです。柔道の基本である組み手を組もうとしない海外選手に対応するために、沖縄相撲などの他の格闘技の選手とも練習しました。
選手と監督・コーチの「金メダル」への強いこだわりを、競技が終わった今、感じました。個人競技の柔道ですが、この4年間は「柔道ニッポン」のチームプレーだったのでしょう。リオでの復活への糸口を東京につなげられるか。
井上監督は「7人7様で戦えたことは一生の思い出になる。本当によくかんばった」と涙を流しながら讃えました。メダルの色に関わらず、一人ひとりの思いがあるでしょう。その思いを持って、柔道発祥の地での戦いに挑む選手たちに期待したいと思います。
参考記事:
14日付 各紙朝刊「柔道メダル12個」関連面