2025年3月11日で東日本大震災から14年が経ちました。伝承館や震災遺構として残されている学校に足を運び、津波の被害や防災について学びました。
筆者が訪れたのは宮城県石巻市にある門脇小学校です。震災での津波や火災に襲われた状況が残されている本校舎や展示館になっている体育館などが見学できます。体育館の中には津波による被害を受けた車両が展示されており、フレームが曲がり原型をとどめていないその姿を見て、津波の脅威を痛感しました。
本校舎に入ると、真っ先に火災により天板がなくなった机や背板が燃えてしまった椅子が目に入りました。さらに火災により、窓枠やガラス、黒板が焼け落ちていました。
地震の際には津波がこない高い場所への避難が重要です。しかし、火災にも気を付けなければなりません。この門脇小学校では火災が発生しました。津波によって流失・浸水した家や車の漏電、プロパンガスボンベなどによるものと考えられています。この火災から建物の上層階に避難する垂直避難の危険性についても考えさせられました。学校からの避難の際には教室に残されていた教壇を橋やはしごとして使用し、学校の裏に位置する日和山に避難することで多くの命が救われました。このような非常事態でも冷静に物事を判断する重要さを学びました。
門脇小学校から徒歩5分の場所には「みやぎ東日本大震災津波伝承館」があり、津波から命を守るための行動や震災当時の緊急対応の様子を学ぶことができます。この建物の北側の屋根はこの地域を襲った津波と同じ6.9mで設計されています。実際に筆者の身長と比べてみても到底太刀打ちできないことが容易に想像できます。
津波は数十㎝でも足を取られ、歩くことが困難になってしまいます。同県の「名取市震災復興伝承館」には足まで浸水した時の様子を専用の下駄で体験することができます。水圧体験ドアもあり、水深30㎝を想定したドアは全身の体重をかけてやっと開く程度でした。
仙台市の荒浜小学校も津波で甚大な被害を受けました。この学校には児童や教員、住民320人が避難しました。校舎の1、2階を津波が襲い、1階にある保健室などの教室は浸水で壁や天井がはがれ落ちていました。教室には室内に車が押し流され瓦礫の山になっている写真が展示されており、津波の威力を再認識させられました。震災当時、この地区は住宅街で津波によって破壊された家屋の基礎部分が保存されています。
道路も被災しましたが、仙台東部道路は高さ7m~10mの盛土構造になっており、内陸部への津波やがれきの流入を抑制するなどの堤防としての役割を果たしました。いま仙台市では震災復興計画が進められています。東日本大震災からの1日でも早い復興、復旧を目指すため、取り組むべき施策の体系化などが進められています。19年にはこの計画に基づき仙台東部道路より東側に位置する県道塩釜亘理線が高さ6m、総距離約10kmに及ぶ道路として完成し、津波の被害を軽減させる役割が期待されています。実際に被災した地域に訪れたことで、日頃からの地震や津波への備え、津波の脅威の体験や教訓を活かすことの重要性を身に染みて感じました。
参考文献:
2025年3月10日付 読売新聞オンライン 津波災害の記憶を未来へ…3Dモデルで伝える東日本大震災
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250310-OYT1T50150/
2024年10月26日付 朝日新聞デジタル 500億費やした「かさ上げ道路」 仙台湾岸、次に備えた復興の道
https://www.asahi.com/articles/ASSB71TYTSB7UNHB003M.html
2025年3月11日付 朝日新聞デジタル 東日本大震災14年 避難なお2.8万人
https://www.asahi.com/articles/DA3S16167050.html
2025年3月11日付 日経電子版 東日本大震災から14年 避難なお2万7000人、続く人口減
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE101870Q5A310C2000000/
参考資料:
仙台市ホームページ
https://www.city.sendai.jp/shinsaifukko/shise/daishinsai/fukko/kanren/kekaku-03.html
みやぎ東日本大震災津波伝承館
https://www.pref.miyagi.jp/site/denshokan/index.html
石巻市震災遺構門脇小学校
https://www.ishinomakiikou.net/kadonowaki/
震災遺構仙台市荒浜小学校
https://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/ruin_arahama_elementaryschool.html