「なんだろう、なんだろう」、ヨシタケシンスケ作のこの絵本は大学3、4年で所属したゼミで最初の課題として読みました。今や私のなかで大切にしている本の一つです。
「幸せってなんだろう」「自分ってなんだろう」と身近なものに対して、「なんだろう、なんだろう」と考えていくことでストーリーが進んでいきます。この本を読むと、当たり前に思っていたことでも「あれ、これってなんなんだ?」と改めて考えるきっかけになる気がしています。
例えば、友達。友達だと思っていた人から裏切られたとき。嫌がらせをされたとき。もしくは、友達までは行かずとも知り合いだと思っていた人が助けてくれたとき。そういった瞬間に出会うと、「あれ、友達ってなんだろう」と思うことがあります。
「私は友達だと思っていたけど、向こうはそう思っていなかったのかな」「もしかして向こうは友達だと思ってくれていたのかな」。頭の中でたくさん考えて、私の中で「この人といるときの自分が好きだ」と思える人が「友達」かなと今のところは答えが出ました。ある人のことを考えたときに、嫌なところが出てきてしまったり、言いたくもない言葉が頭に浮かんでしまったりするなら、それは友達とは言い難い存在なのかもしれないなと自分なりに考えています。ただそれも、数年したら変わってしまうかもしれませんが。
直近では、「学生ってなんだろう」とひたすら考えていました。
卒業を目前に控えた今、小学校から大学までの16年間を学生として過ごしてきて、学生ではなくなることがどういうことなのか実感が湧いていません。一足先に社会人になった先輩からは、「学生のうちにたくさん遊んでおきな!」と言われることが多いのですが、私の中では、もう遊び尽くした感じがしています。笑。きっと後悔することはわかっているのですが、これ以上にどう遊べばいいんだ、と思っている自分がいます。
そのようななかで、学生とは何かを今私なりに答えとして出すなら、「ある程度は何をしても許される、社会人になるまでの猶予期間」だと思っています。もちろん、犯罪など許されないものはありますが、社会人に比べて学生はまだ、失敗がある程度は許容されるような気がしています。
改めて、日常にあるものを疑って考えてみると奥が深いものってたくさんあるように思えます。何かに困ったときや違和感を感じたときには立ち止まって「なんだろう」と考えることも、ときには大切なのかもしれません。
<参考記事>
20日日本経済新聞 夕刊「絵本作家 ヨシタケシンスケ(4) 止まってしまった砂時計」