今月13日は成人の日でした。日本各地で、成人年齢引き下げに伴い「成人式」から名前を変えた記念式典が開かれました。
20歳になった筆者も、高校生までを過ごした福岡県北九州市の記念式典に出席しました。バラエティ番組や全国中継のニュースで毎年取り上げられる「あの成人式」です。もはや名物ともなった北九州市の式典は本当に「ド派手」なのか、当事者目線でレポートしていきます。
◾︎記念式典当日
北九州市「二十歳の記念式典」には、今年度から大きく変更された点があります。会場が、競輪場としても利用される「北九州メディアドーム」から、小倉駅前の「西日本総合展示場」へと移りました。会場近くの広場が、昨年度までと比較すると狭くなっています。したがって、旗を掲げたり肩幅以上の装飾をまとったりしたド派手な参加者にとっては、窮屈な環境でのお披露目となりました。
記念式典が終わると、写真撮影などを目当てに会場前広場に集まりました。テレビを通してみた先輩たち同様「ド派手」な若者は、確かにいました。テレビ局や新聞社などによるインタビューも繰り広げられていました。
◾︎全員がド派手なの?
市外の友人によく尋ねられる「全員ド派手な衣装を着るの?」という疑問。率直に答えると、そんなことはありません。ほとんどの人は、振袖やスーツなどに身を包んでいました。ド派手な衣装はごく一部です。
彼らは、中学校単位で集まることが多く、お揃いの衣装や装飾、旗を用意しています。筆者が通っていた中学校の同級生には、そうした格好の人はいませんでした。北九州市内でも、地域差が現れる部分なのでしょう。
また準備には多額の費用がかかるため、すでに社会人として働いている人が多い印象もあります。
◾︎ド派手文化の始まりと変化
もはや定番となったド派手衣装の始まりは、2003年ごろとのことです。当時地元住民らからは「ふさわしくない」などの苦情が寄せられ、市は「きちんとした服装」で出席するよう呼びかけを行っていました。
風向きが変わったのはここ数年のこと。2年前に市長がかわったことがきっかけです。現在の武内市長はこの衣装や装飾などを「北九州市の若い人たちがコツコツ生み出した美意識」と表現し、公式な文化として認定されたのです。昨年度は、市長自らド派手な衣装に身を包んでいました。
北九州市に育った2004年度生まれの私たちは、「ド派手ネイティブ」であるといえます。生まれた頃から続くこの文化が、この先も続いてほしいです。
◾︎20歳として
民法改正に伴い18歳で成人を迎えていましたが、やはり、振袖を着て「二十歳のの記念式典」に参加することで、大人としての自覚が大きくなったように感じます。
大学卒業後どのような職業に就くのか、まだ明確ではありません。ただ、試験勉強に追われている現在は、国際法や地方自治を学ぶことに楽しみを感じています。この学びを生かしながら、違和感や疎外感をもつ人が少ない社会をつくる一員になる、そう決意しました。
参考記事
・1月12日付 朝日新聞デジタル 「ど派手衣装『不動明王のような大人に』 北九州で二十歳の記念式典」 https://www.asahi.com/articles/AST1D10P1T1DTIPE001M.html
・2024年1月8日付 RKBオンライン 「市民が眉をひそめた成人式の“ド派手衣装”は文化へ→市長も身につけ若者の美意識を“肯定”」 https://rkb.jp/contents/202401/202401089556/
参考資料
・北九州市 「令和7年北九州市二十歳の記念式典について」 https://www.city.kitakyushu.lg.jp/contents/11901287.html