筆者はダウン症の子どもたちの笑顔が好きです。彼らが楽しそうに笑っているのを見ていると、心が穏やかになり、いやなことも頭から離れていきます。どうして彼らの笑顔にこんなにも癒やされるのか、自分でもわかりません。
小学生のころ、よく遊びに行く近所のお宅にダウン症の男の子がいました。そのご家族と筆者の家族でスイカを食べていたとき、それまで単語を一度も発さなかったその子が、みんなが「うまい」「うまい」と言うのに続いて、笑顔で「うまい!」と叫んだことがあります。その子の家族も筆者の家族も、大騒ぎして喜んだのを覚えています。大喜びする周りのものをみて、さらに笑う彼の笑顔が忘れられません。
胎児の染色体異常の有無を調べる出生前診断が、妊婦の血液でできるようになってから3年が経ちました。以前から存在する羊水検査とは異なり、異常を確定することはできませんが、検査自体のリスクが低く、気軽に受けられるというのがこの新出生前診断の特徴です。
20日の日経新聞朝刊によると、受診リスクの低いこの検査は年々普及しており、受診者数は3年間で3万人を超えたようです。その中で、染色体異常の疑いが見られたのは550人弱。本当に染色体異常があるかどうか確定させるためには、さらに羊水検査を受けなければなりません。その結果、異常が確定した人の94%が人工妊娠中絶を選択したと述べられています。
染色体異常により引き起こされる疾患のうち、最も事例が多いのがダウン症です。ダウン症は、発達障がいなどを引き起こす遺伝疾患の一種です。知的発達に遅れが見られるため、ダウン症の子どもを育てるのにはたくさんの費用と労力がかかります。さらに、差別・偏見も存在します。ダウン症をもって生まれてくる可能性は誰にでも等しく存在したはずなのですが、世間の障がい者への目は今でも厳しいままです。
そうした背景により、染色体異常の存在を知った妊婦らは中絶という道を選ぶのでしょう。しかし、これは「命の選別」につながりかねず、倫理的に問題があるとの議論がなされています。
人工妊娠中絶を選択した妊婦たちを短絡的に責めることは筆者にはできません。「胎児の産まれてくる権利」には同意しますが、「妊婦にも産むか産まないかの選択権がある」という意見を切り捨てることもできません。それぞれの事情がありますし、それなりに苦しんで下した決断なのでしょうから。
注視するべきは異常が確認されなかった妊婦たちです。彼女らは「胎内にいる我が子の命を奪うかどうか」という選択を免れました。しかしながら、堕胎を選択した妊婦たちと同様に、診断を受けたという事実は残ります。
なぜ、出生前診断を受けたのか。それはきっと、異常が陽性だった場合、人工中絶をしようと考えていたからでしょう。陽性と診断されても産む、という考えを持っていたら、最初から受診しようと思わなかったはずです。しかしながら、決断を免れた彼女らが「場合によっては我が子の命を奪う」という覚悟をもって受診したのかどうか、疑問が残ります。
先ほど述べたとおり、ダウン症の子どもを育てる苦労は並大抵のものではないでしょう。しかしながら、彼らと一緒にいる時間には、その苦労に見合うだけの喜びがあります。出生前診断を受けるなら、その結果にかかわらず、そうした喜びを経験する可能性を否定することになります。
ダウン症の子を育てる場合、育てない場合、その両方の将来をきちんと思い描いて、やはり育てるのは難しいとなってから、それなりの覚悟をもって受診を決めてほしい。気軽に受けられるようになった出生前診断ですが、安易な受診が減ることを望みます。
参考:20日付 日本経済新聞 朝刊 13版 社会38面 「新出生前診断 3万人超す」