筆者は「パラ経(パラダイス経済の略)」と呼ばれることの多い京都大学経済学部に通っています。しかし、生活自体は決して暇でも、楽でもありません。大学の授業も忙しいのですが、サークル活動やアルバイトなど他にやりたいことがたくさんあり、忙殺される日々を送っています。
この学部を選んだのは、経済学に格段の興味があったからではなく、自分の幅を広げたかったからです。将来やりたいと漠然と思っていることは高校中退者の大学受験の支援であり、今最も関心があるのはそれに役立ちそうなスキルです。しかし、だからといって経済学に面白みが見いだせないわけではありません。勉強していて楽しいなと思う機会は多々あります。ただ、塾のアルバイトで生徒指導の経験を積んだり、指導法について勉強したり、サークル活動にいそしんだりと、時間を自由に割り振りできる今しかできないことも大切にしたいだけなのです。
同じ学部の人たちを見ていても、筆者と同様の人はたくさんいます。中には、大学の授業はほとんど受けず、ひたすらに自分の関心分野の活動に専念している人もいます。こうした大学生の姿はきわめて日本的だと言われます。今朝の記事は、日本の大学のイメージについて、「大学合格が『ゴール』で、入学後は『レジャーランド』」と表しています。
このような「日本的な」大学が変わろうとしています。文部科学省が大学教育の「質的転換」の必要性を唱え、「大学教育改革」を進めるよう全大学に要求しました。①入学者受け入れ ②教育課程編成・実施 ③卒業認定・学位授与 の三つを見直し、その方針を策定するよう義務づけました。先行してこの三方針を策定し、改革を実施している大学もあります。
この背景にあるのは、英国の教育専門誌が出した大学ランキングのようです。東京大学、京都大学、大阪大学の順位が昨年と比べて下落したことなどを受けて、このような改革案が出されました。
「レジャーランド」に憧れ、所属している筆者からすれば、この改革には首をかしげたくなります。「日本的」な大学を良くないものとし、卒業認定基準を厳しくし、国際化教育に力を入れて欧米の大学に近づこうとしているようですが、これは日本の大学の文化を捨てることと等しいのではないでしょうか。そもそも、参照されている大学ランキングは英国の基準で選んだものです。欧米とは異なる規範を持つ日本の大学が評価されなくても仕方がないはずです。
さらに言えば、日本の方式にもメリットはあるはずです。筆者の周囲の学生たちは、大学の勉強とその他のやりたいこととにどのように力を配分するかを模索しながら生活しています。卒業のために、ひたすら大学の要求する勉強を行うのでは、学生の自主性や独創性は確立されないのではないでしょうか。
「昔ながらの大学」というイメージが強い京都大学にも、欧米の成績評価基準であるGPA制度が導入されました。GPAとは、各学生の取得した成績を点数化した平均値であり、学生の総合的な評価などに用いられます。先日、ある教授がこぼした言葉が印象に残っています。
「成績の平均なんてとってどうするんだろうね。averageなんかどうでもよくて、どこかが特出しているのが京大生なんじゃないのかな」
社会に出たことのない学生の戯言なのかもしれませんが、母校が変わってしまうことに寂しさを隠せません。
参考:24日付 読売新聞朝刊 13S 「大学 高校 どうつなぐ 大学教育 質的改革の時」
Times higher education HP ‘World University Rankings – Regional Ranking Methodology’