先週、TBSドラマ「不適切にもほどがある!」が最終回を迎えました。昭和生まれの熱血体育教師が令和にタイムスリップ。昭和とは異なる人々の暮らしぶりや価値観に戸惑い、悩まされながらも、令和のテレビ局に入社して社内カウンセラーとして日々奮闘する物語です。毎回突然始まるミュージカルシーンで、令和の行き過ぎたコンプライアンスを歌にしているところが印象的です。毎週放送を楽しみにしていた読者の皆さんも多いのではないでしょうか。ギリギリ平成生まれの筆者は、昭和生まれの家族とドラマを見ながら、それぞれの時代について語り合いました。
女性らしさや男性らしさが強く求められ、パワハラやセクハラが日常茶飯事だった昭和。多様性を重視し、日々言動に気をつけなければいけない令和。筆者はその中間地点、平成のゆとり世代です。小中高の授業では個性を尊重され、褒めて伸びる教育を受けてきました。一方、所属していた部活動では叱られることが多く、土日や長期休みも毎日練習です。炎天下の中、学校の周りを走る「外周」や筋トレを命じられたことも。家族も同じ経験をしたそうです。
昭和と平成の教育を同時に受けた結果、「叱られた方が身に染みて感じるが、些細なことで怒られると萎縮してしまう」という特性が身についてしまいました。現代人の「生きづらさ」はこのような教育体験からきているのではないでしょうか。
大学生になるにつれて、会社や学校のハラスメントがより問題視される世の中に変わり、大学では「アカデミックハラスメント(アカハラ)」、つまり教員が学生に対して嫌がらせをするハラスメントがあることを知りました。教育現場でのセクハラ被害支援を行う「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク」によると、アカハラを含め、2020年夏から2年間に報道されたハラスメントは76件を数えます。
昨年3月には、東京大学大学院博士課程に在籍していた院生が、指導教授から約3ヶ月論文を指導されなかったとして、アカハラに認定されました。教授側は停職1カ月の処分に対して訴訟を起こし、処分の無効と損害賠償を求めました。愛情を持って接してきたとする教授と、論文に関するメールに返信がないままだったと嘆く院生。双方の意見は食い違っていますが、前提として、指導にあたる教員や研究者は不適切な言動を控え、学生の教育環境を整えることに専念すべきです。
広島大学の北仲千里准教授によると「大学の研究室での指導は、外部から見えにくい。そのため、学生はハラスメントを受けても違和感を感じないことがある」と話します。狭い世界であるが故に、学生が気づかぬうちにアカハラが発生していたり、黙認されたりしている可能性が高いと言えるでしょう。
今回の東大アカハラ、ドラマを通じて感じた時代ごとのハラスメント、どちらにも共通して言えることは「当事者が知らない間に相手を傷つけている」。誰かと会話をする中で、捉え方や受け止め方の違いを感じることは多いと思います。いくら言葉を選んでも、時にはすれ違いやミスマッチが生じます。ドラマの最後には、物事を広い目で見て寛容になろうと歌うミュージカルが披露されていました。みんなが、人それぞれ多様な意見があると心得ていれば、ハラスメントや「生きづらさ」を減らすことにつながるのではないでしょうか。
【参考記事】
30日付 朝日新聞デジタル「『ほめて育てる』親は不適切? 自己肯定感より自己愛肥大化の指摘も」
31日付 朝日新聞デジタル「東大教授『指導放置』でアカハラ処分 絶望した院生が父に伝えた言葉」
31日付 朝日新聞デジタル「アカハラ認定の元東大教授『愛情持って接してきた』 処分無効を訴え」
31日付 朝日新聞デジタル「【そもそも解説】『アカハラ』なぜ起きる? 大学の生存戦略にも影響」
【関連サイト】
TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」公式サイト