卒業旅行ならぬ卒業散歩? 新宿―平塚間を歩いてみた!

「新宿から箱根まで1日中歩いていこうぜ」

「え、いいね。面白そう!やる日決めようぜ」

中学からの友達との会話はいつもこうだ。誰かが突拍子もないことを思いついて口に出しても、誰も止めないのでほぼ100%やることになる。

「何でそんなことするの」。卒業散歩の話をするとほぼ間違いなくこう聞かれる。極めて正常な反応だと思う。寝る時間も削って限界まで歩こうなんて考えもしないし、仮に思いついたとしてもやろうとは思わないだろう。あくまで「普通の人間」はという枕詞が付くが。

 

新宿に11時30分集合と早くはないものの、参加者の3人(筆者、K、S)は前夜は終電まで飲み会で完璧とは言えないコンディションでのスタート。お互い助け合うこと、なるべく諦めないことの2つをルールにしていざ出発。

最初に異変が出始めたのは8時間半ほど経過した20時頃だった。大学4年間まともに運動しなかったブランクが大きいのか、誰でも歩き続けるとこうなるのかはわからないが、とにかく右の足の裏が痛い。痛み止めを飲まないとまともに歩けないほどだった。

「意味のないことに最大の意味があると思うんだよね」

だんだん痛みと体力の限界が近づき、どうして歩いているのかわからなくなりかけていた時に、Kが突然この言葉を放った。たまに筆者の心を見透かしたように深いことを言ってくるので、友というのは不思議な生き物だと思う。ただ、本当にその通りだと思った。意味があるかどうかなんて後からしかわからないのだから。

友の言葉に少し励まされたものの、体の限界という現実は避けられない。途中の休憩ポイントとして平塚のラーメン屋を設定していたが、そこまですら途方もない距離に感じた。体に鞭打って、たどり着いたのは足が痛くなり始めてから5時間半後の深夜1時半だった。

間違いなく今まで食べたラーメンの中で1番美味しいラーメンだったと思う。体の隅々の細胞が体内に入ってくる豚骨スープを歓迎していた。それと同時に今まで張りつめていた気が緩み、体の痛みをそれまでよりも強く感じた。さらに、Sが好きな女の子からの返信が丸1日来ず心が折れてしまった。全員の体の状態と心の状態を鑑みて、続行は不可と判断し、箱根まで行く計画は絶たれてしまった。

疲れた体を少しでも休めるために店が閉まる深夜3時まではそこに留まり、限界の体を引きずりながら平塚駅に向かった。途中のコンビニでお酒を買い、それまでの自分たちの努力を祝した。

 

大学での失敗話。好きな女の子にだけ振り向いてもらえない話。甘酸っぱい日を思い出す歌の話。歩く以外にすることがないので、他愛もない話をひたすらした。もうこんなに友人と長い間話す時間は、簡単には取れないかもしれない。そう思うと、体中は痛いし、一睡もしてないせいで眠いこの散歩が愛おしく思えた。また、これが青春そのものなのかもしれないとも思った。

これから社会人になれば、出来ない自分に絶望して俯きながら帰る日もあるかもしれない。そんな日は今回と同じようにとまではいかないが、少し遠回りして歩いて帰ってみることにしようじゃないか。きっと下を向きながら歩く日にも、何か良いことがあるはずだから。

 

☆本日を持ちまして、2年間続けたあらたにすを卒業します。

「自分にしか書けないことを」と「好きなものから社会を考える」という2つを追い求める2年間だったと胸を張って言えます。本当にありがとうございました。

ここでの経験を活かして春からの新聞記者生活も頑張ります。