就職活動真っ最中の今日この頃。
様々な問いを投げかけられ、そうでなくてもこれからの人生について自問自答しながら過ごすうちに、哲学にヒントを求めようとしていることに気付きました。
きっかけは、ある日の日経新聞の夕刊の連載「あすへの話題」で、『人生の意味の哲学』という記事を読んだことです。人生の意味について画一的な答えを示すのではなく、ただ「人生に意味があるとはそもそもどういうことなのか」という問いから始まり、どっぷりと思考実験につかる様子に興味を掻き立てられました。
人生にまつわる問いは、とてつもない可能性を秘めつつ広がっています。
「人生は生きるに値するのか」「人生に意味を与えるものは何か」「そもそも人生が存在する意味は何か」など、人生の意味が様々な角度から語られています。
「この世に人間が生まれてくるのは良いことなのだろうか」という問いに対しては、この世に人間が生まれてくるのはどんな場合でも必ず悪であり、すべての人間は子どもを産むべきではないと主張する「反出生主義」を引き合いに出して考えるなど、哲学をきっかけに深い思索の世界があることを実感しています。
筆者が特に印象に残っているのは、「人生の意味は誰が決めるのか」という問いです。
私自身は、自分の人生にどう意味づけをするのかは自分次第であり、その是非について他人からジャッジされるものではないと考えていました。
しかし以下の文章を見て、自分が直視せずに綺麗事として収めようとしてきた面があるのではないかと考えるようになりました。
あなたならどのように考えますか。
「この世にはまったく意味のない人生というものがあるのだ。たとえば、ヒトラーや、オウム真理教の教祖の麻原は、この世に悪しかもたらさなかったから、その人生はまったく無意味なのだ。あなたは、もし仮に麻原が自分の人生には大きな意味があったと言ったとしたら、それを認めるのですか?」(日経2月18日付夕刊「明日への話題」)
哲学には、世界を捉える新しい視点を与えてくれるだけでなく、自分のまだ知らない一面を知る力もあるのではないでしょうか。自分の「キレイ」だけではない部分を直視するのは苦しいことでもあるかもしれませんが、せめて現実から逃げることなく正面から向き合う強さが得られればと思います。
受け手の視野を広げて、本質的な思想に思いを寄せるのが哲学だとすれば、私たちの「常識」や「当たり前」をぶち壊しながら、また明日へと進むエネルギーをくれるのかもしれません。
そんなあれこれを取り留めなく考えながら、まずは私にとって目先の人生の一部である就活に取り組んでいきたいと思います。
【参考記事】
2024年3月14日『反出生主義への誤解 哲学者・森岡正博』日経新聞夕刊1面(以下同じ)
2024年2月22日『キャンバスと花の絵 哲学者 森岡正博』
2024年2月15日『反出生主義 哲学者 森岡正博』
2024年2月8日『「人生の意味」の多様性 哲学者 森岡正博』
2024年2月1日『人生の問いと哲学 哲学者 森岡正博』
2024年1月25日『小さな石の意味 哲学者 森岡正博』
2024年1月18日『人生の意味は誰が決める 哲学者 森岡正博』
2024年1月11日『再考・シーシュポス 哲学者 森岡正博』
2024年1月4日『人生の意味の哲学 哲学者 森岡正博』