先日、鹿児島県に2週間滞在した。山と海に囲まれた豊かな地だ。鹿児島市内では、街を見下ろすように活火山・桜島が堂々とそびえ、遠くには水平線が望める。薩摩半島の南部では、美しい開門岳と九州最大のカルデラ湖を背に、菜の花が咲き乱れる。水族館や薩摩英国留学生記念館、垂水フェリー、釜蓋神社など、さまざまな観光地を訪れた。
その一つに南九州市の知覧がある。日本有数のお茶産地で、「知覧茶」が有名だ。私の叔母もお茶農家の一人。茶畑では、東南アジアの外国人実習生が数名働いている。皆が流ちょうな日本語を話すわけではないが、重役となっている者もいるそうだ。政府は9日、技能実習制度を廃止し、育成型に方針転換することを発表している。外国人の働きやすい環境を整え、人材を確保するためだ。今回は、地域農業も外国人材の力は欠かせないのだと身近な例で知った。
知覧は、太平洋戦争の末期に特攻隊が飛び立った地でもある。かつて航空基地があった場所には、現在は知覧特攻平和会館が立つ。特攻をテーマにした映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」が放映中だが、原作者の汐見夏衛さんは鹿児島県出身で、この会館を訪れたことが執筆のきっかけという。私は会館で歴史的経緯を学び、同年代で亡くなった日本兵たちの遺書を読んだ。感想は、ここでは簡単に書けない。ただ、彼らが20年の人生に感謝を記していることが何より印象的だった。
江戸時代まで城があったそうで、武家屋敷や立派な石垣など、知覧には当時の城下町の雰囲気が残されている。瓦屋根の家や灯籠が立ち並び、道端の堀には錦鯉が泳ぐなど、京都に似た雰囲気を醸す。今後も守られてほしい風景がそこにある。しかし、科学技術の発展は容赦なく進む。以前は一面緑色だった茶畑も、今では無機質なソーラーパネルの占める割合が増えた。
復興がようやく始まったばかりの能登のように、日本の景勝地の多くは天災がいつやってくるかも分からない土地でもある。新型コロナウイルス禍が落ち着いてきた今、大学生は卒業旅行で海外に飛びがちだが、美しい日本を見つめることができる機会も、また今だけかもしれない。