16日に熊本で「本震」が起こってから、今日23日で一週間になりますが、いまだに被災地の状況は改善されておりません。たくさんの人びとが車中泊を強いられ、エコノミークラス症候群を発症していると報じられています。水道は復旧の見通しが立ちません。自治体の庁舎が損壊し、罹災証明の手続きができないという問題も生じています。
22日、熊本県の一部の市町村で災害ボランティアセンターが開設され、ボランティアの受け入れが始まりました。「行っても迷惑」という時期は過ぎたかのように思われます。しかし、壊れた住宅に入ることができないため、しばらくの間は支援要請のための連絡係や、避難所での手伝いなどが活動の中心になる見込みです。
おそらく、これからますます多くの方がボランティア活動に参加されることでしょう。その行動は素晴らしいことだと思います。しかし、人によって、できることは限られます。大切なのは「支援時期を見極めること」ではないでしょうか。
2011年6月、不登校の高校生だった筆者は、知人に誘われ、宮城県の雄勝半島を訪れました。震災から3か月が経っても、まだ村には震災の爪痕が残っていました。大量のがれき。倒壊した小学校。被災者の方々は損壊を免れた家屋で暮らしていましたが、水道が止まっているため、お風呂に入ることができませんでした。
そこに、たまたま一緒になったボランティアの方が、簡易バスルームを載せたトラックを運んできました。また、水道が復旧した後には、ほかの団体と一緒にシャワーも作りました。このように専門性を生かした支援活動を目にし、普通の高校生である私にできることがあるのかな、と思い悩んだ記憶があります。
結局、一緒にご飯を作ったり、お話を聞いたり、わかめの茎とりをお手伝いしたり、ケータイ電話の着信メロディーを変えてあげたり(笑)、そういったとりとめのないことをして帰ってきました。それでも被災地のみなさんは非常に喜んでくださり、その後も交流が続きました。
今思い返して感じるのは、あの「支援」は震災から3か月経ったあの時だからこそ、支援になりえたのだということです。震災後すぐに私があの地を訪れていたら、おそらくあそこまで喜んではもらえなかったことでしょう。被災直後に必要な人材は限られています。体力のない高校生では、足手まといになっていた可能性さえあります。
今の熊本でも、当時の東北でも、被災地では多くの人手が必要とされます。しかし、一時的な支援では意味がありません。先ほどの宮城県の集落では今も仮設生活が続き、震災前にはあった神楽や神輿などの伝統行事も継続できていないようです。5年が経っても支援は必要とされています。これは、未来の熊本にもあてはまると思われます。直後のボランティアだけが助けになるわけではありません。自分が役に立てる時期を見計らい、息の長い支援を考えることが大切なのではないでしょうか。
参考:23日付 各紙熊本大震災関連面